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山の挽歌-松田白作品集- › ヒュッテ霧ヶ峰

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2009年02月10日

ヒュッテ霧ヶ峰

 ヒュッテの前でスキーを脱いで、そのあたり一面に干してある洗濯物を見まわす。風になびいて気持ちいい。この調子では客はいないらしい。一枚だけ飛ばされて水溜りに落ちていた白い布片を拾い上げた。
 ホールの長テーブルの上には二十三枚の布団が載せてあり、娘さんが二人、それを繕っている。片隅にヒュッテのおばさんの顔も浮いている。
「おばさん、オムツが落ちてたよ」
 さっきの布片を差し出す。
「失礼ね、オムツじゃないわ」と、一応柳眉をさかだてる。
「一人で?」
「一人さ、今頃来る奴は」
「そうね、Mさんくらいね。ところでサービス悪いわよ。布団繕ってしまうまで、その辺にいてね」
「たいしたご挨拶だ」
 僕は靴のまま上り込み、椅子に腰かけてストーブの柵にドカンと両足を置く。靴底の雪がじわじわ溶ける。娘達がくすくす笑っている。スキーの季節の忙しい時だけ手伝いにきている農家の娘さんだろう。戸外は明るい銀一色、家の中が薄暗く見えるのも無理もない。
「何かない? 喉が渇いちゃった」
「ないわよ、後でお茶いれてあげるわ。水でも飲んで一時(いっとき)間に合わせときなさいよ」
「なるほど、サービス悪いな。三ちゃんは下?」
「下界よ」
 娘達は目を見合わせ、笑い出しそうな表情をする。
 このヒュッテ霧ヶ峰が三ちゃんこと有賀三吉氏の経営になる以前、失火で焼けてしまったやはり同名のヒュッテ霧ヶ峰は、長尾氏によって経営されていた。その頃、誰かの文章で私はこのヒュッテの三月に憧れを持ったものだったが、何の因縁か、諏訪に住むようになって三月はおろか、一年中いつでも来られる身分になってしまって、われながら驚いている。
「今日はいったい何しに来たの?」と三ちゃんの奥様が言う。
「もちろんスキーさ」
「へえ、独り者はのんきね。下はもう春でしょ」
「独り者じゃないよ。僕はこれでも二人の子供のお父様ですよ」
「嘘ばっかり……。だけど近頃の人ってわからないからねえ、皆独りみたいな顔してるもの。でもMさんは独りでしょう、わかるわよ」
「あれ、なめてるな、ほんとうだったらどうする?」
「宿料とらないわ」
「何しろありがないな、只より安いものはないってね。で、どこのお部屋にお入りになったらいいの?」
「どこでも勝手に入りなさいよ、だけど火が入ってないわよ」
「ウワー、金払うから火を入れてよ」
「だから布団繕うまで待ちなさいよ」
 娘はとうとう声をたてて笑い出す。
「はいはい。飴でもしゃぶって待ってます」
 火でも起こすつもりか、娘達は顔を見合わせて仕事の手を止める。
「いいのよ、もう少しでしょ、こんな風来坊そこであたらせとけば……」
 奥方はガンとして許さない。
「いいんですよ、僕は飴しゃぶっているから……。その代わりクヤシイから、もりもり燃やしてやる」
 僕は太い白樺をストーブの中に放り込む。
「平気よ、煙突詰まっているから燻(いぶ)るだけだわ」
「そんなら三人とも尻尾を出させてやる。奥さんの尻尾が一番大きいな、きっと」
「そんなゴタ言う暇があったら、何か手伝いなさいよ」
 娘の一人は台所へ駆け込んで大声で笑い出す。
 窓の外は一枚のハンカチーフである。森はインクのしみだろうか。つららから水の滴る音がする。あれは春の音だ。
  
タグ :霧ヶ峰


Posted by 松田まゆみ at 15:55Comments(0)ヒュッテ霧ヶ峰