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2009年02月27日

入笠山の記

 山頂から甲斐駒に輝く二筋の雪渓にアディユーを告げ、背の低い唐松と高山植物の急斜面を駆け下る。間もなく準平原地帯の唐松の林に入れば、道は鈴蘭の群生に挟まれてなだらかに下るようになる。大股に歩いていくと、木の間漏る日光がちらちらと僕の肩に、腕に小さい斑点をつくっては飛び去る。
 十五分も歩いたら、この美しい林で少し休んでいきたくなった。僕は道から離れ、緑の中に分け入った。二百メートルも茂みをかき分けたろうか、僕は白樺の自然林を見つけた。
 いつも思うことだが、山へ来て白樺を見ると心がなごむ。ことに危険な岩場を通過し、ほっとして下る山道に白く微笑む白樺の幹は、何ともいえない女性的な優しさがある。この林もそうだ。ここは誰も来ないらしく、足元の君影草もつややかである。僕はゴツイ靴を脱ぎ捨てて、足音をしのばせてそっと歩いた。そして一本のかなり太い白樺の根元にリュックを下ろし、君影草の中にごろりと仰向けに寝た。高価な敷物である。否、金銭では買えぬ新鮮なシーツである。ぼくは全身の筋肉を思いきり伸ばしてそっと目を閉じ、しばらくして静かに開いた。
 静かだ……。煙草を取り出してゆっくりと喫(す)ってみる。その紫水晶を溶かしたような紫煙はためらいがちにゆらゆらと昇ってゆく。その突端は目に見えない煙となって白樺の葉や枝のそことない囁(ささや)きの間を通り抜け、六月の陽にきらきらと輝く青空ににじみゆく。じっとしていると肩や頬のあたりから心地よい香りが漂ってくる。鈴蘭の香りだ。どうして人はこの草のもっと芸術的な本名「君影草」を言わずに、鈴蘭等という俗称で呼ぶのだろう。その香りは香水のようなあくどさがない。清澄(せいちょう)な空気に混合して僕の感覚を刺激するともなく刺激する。香りを追って葉陰を見れば、緑を反射して少々緑白な可憐な鈴の四つ五つがつつましく揺らいでいる。透明で清純な美しさだ。
 こんな場面に会ったら、誰だってロマンチックな気分になるだろう。そして現実の醜悪さから目を覆いたくなるだろう。ことに僕みたいにその醜悪さを飽きるほど経験した者にとっては……。しかし僕はロマンチストではない。リアリストでももちろんない。あの青空にぽっかり浮かぶ白雲を見て、途端に人生を謳歌するのは早計に過ぎるようだし、ましてあの雲から人生の憎悪をつかみ出すには当たらないではないか。けだしは雲のような屈託もなく、世間が傍観できるなら面白かろう。だがそれは仙人にまかせるとしよう。
 ともあれ僕はかの英国人風に乙に気取って考えるのだ。「人、各々の人格を尊敬せよ。物、各個の自由を尊重せよ」と……。現に自由主義を排撃する人は多い。しかしその真の意義を知っている人は幾人あるだろうか? ただしその主義が現実の社会を支配し得るか否かは僕の関与しない事項だ。ただ、ギルシェヴィズムのように無謀ではないであろうとはいえる。
 突然すぐ近くから響きのよい連続音が聞こえる。誰かが「始めなく終わりなく、闇から闇へ、光から光へ……」と形容したその音の主は、僕から五、六メートル離れる白樺の幹を懸命にノックしていた。啄木鳥(きつつき)である。
 僕が「こんにちは Dear Friend!」と声をかけると、この自由の戦士は白樺の幹の向こう側から頭をちょこんと出し目をくるくると回し、あわてて大きな羽音を残して飛び去った。ときどき冷たい微風が吹く。風は君影草の柔らかい薄緑の葉の茂みにひそみ隠れている香りをゆらゆらと誘い出しては通り過ぎる。
 梅雨の季節だというのに空気は乾燥していて気持ちがよい。昨夜、車中眠れぬまま拾い読みしたハウプトマンの「ギリシャの春」をポケットから取り出して開いたところを読む。白い紙面は緑を反射して視力を休息に導くらしい。僕はその夢幻的な美しい紀行文と君影草の芳香の中に、いつの間にか眠りに落ちていた……。

 目が覚めたら幸い太陽はまだ白樺の梢にまぶしかったが、時計は二時に近かった。約二時間半も眠ったわけである。三時の列車には間に合わぬこととなった。五時の列車にも急がないと危ない。
 白樺林にヒットラーユーゲントのような片手を高く差し上げて別れを告げ、大急ぎで道に戻る。道は静寂だった。今朝一緒に登ってきた連中は僕の寝ている間に山を下ったのだろう、一人もいない。
 ハミングで「ソルベージの歌」を歌いながら、唐松の間を下る。楽な山道はどんどんはかどって、最後の鈴蘭を見送ってから一時間半で里近い松林を出はずれる。
 前面は開け、気温は暖かい。丈の高いきんぽうげの茂みの傍らに腰を下ろして、眼前の広々とした高原を眺めつつ水筒の水を飲む。身にせまる重量感を抱いて正面に厖大(ぼうだい)な八ヶ岳を仰ぐ。その初夏の陽を浴びる緑の裾野は、そこここに点在する村落を載せてちょうどミニマムとマキシムの鉄則の見本のようにこちら側に向かって落下し、さらに急昇して南アルプスの波涛を起伏させている。この大波の最低部を走る中央線の鉄路に沿って、ひとかたまり白く光るのは富士見の町だろう。
 振り返る入笠の緑は若宮沢に滴って谷水となるのだろう。耳を澄ませば、沢の音がする。駅までもう一時間とはかからないだろう。

(1939年に書かれた山行記)
  


Posted by 松田まゆみ at 13:42Comments(0)入笠山の記