山の挽歌-松田白作品集- › 詩
2009年07月29日
梢
からまつの梢をごらんなさい
幾千とも知れぬ幼い緑の
その青空に溶けるあたりの
静けさ・・・・・・
からまつの梢をごらんなさい
幾千とも知れぬ鋭い葉末の
その空に接するあたりの
静けさ・・・・・・
じっと動かず
息づまるような
静けさ・・・・・・
2009年10月03日
夕焼けの湖(うみ)
ミミ
夕焼けの湖(うみ)に漕ぎ出そう
緑の山が 水に溶け
波がピタピタと舷(ふなばた)を打つ
ミミ
夕焼けの湖に漕ぎ出そう
青い水が
黄金に映え
オールが五彩の
飛沫(しぶき)を上げる
あの短い時間のために
青白い雲 赤い雲
桃色の雲 紫の雲が
いろいろな動物に
形を変える
ひとときさえ 止まっていない時間
ミミ
君の頬が 腕が
バラ色に染まり
ピンクのミミが できあがる
あの短い時間が
君も僕も好きなんだ
ミミ
淋しいくせに
君と僕とは よく笑い
冗談ばかり言い合うね
ミミ 幾日もの内で
たった一日の五分間だけど
こんなに真赤に燃えるのが
君も僕も好きなんだ
ミミ
夕焼けの湖に漕ぎ出そう
(この湖とは、長野県諏訪市の蓼の海(たてのうみ)のことと思われる)
2009年11月15日
手
私の両手の中で じっと動かない
湿った 柔らかな 生きもの
貴女の手
永遠に私のもので 永遠に私のものでない
手
霧は髪に流れ ゆるゆると瞳を流れ
モウモウと 暗い湖面をこめる
時は短く 沈黙は苦しく
別離は悲しいけれど
手よ・・・・・・ いつの日も
我が手の間に 生きてあれ
2009年11月21日
砂の音
貴女は 九十九里の砂の音を
憶えているだろうか
あるか無きかに サクサクと
貴女の踏んだ 砂の音を
夕闇の
浜木綿(はまゆう)のように
貴女は浮かび
あるか無きかに サクサクと
私の胸に 刻み残した
砂の音
2009年11月22日
雪原
「マミ 怖くはないね?」
雪深い 高原の夕闇を
いぶし銀の 霧の中を
あてもなく さまようことが
「マミ あの話をしてあげよう
北の涯(はて)の話を」
話しながら歩こう
このひざを埋める雪の中を・・・・・・
「マミ 北の涯の酒場で
行き逢った男女が
目隠しをした馬橇(うまぞり)に
乗ったという
あの話をしよう」
霧が谷から上ってくるね
マミ
手を空にかざしてごらん
霧には 細かい雪が
交じっている
たしかに 雪が交じっているね
「マミ 君の手は冷たい
びっくりする程 冷たいね」
そうだ・・・・・・ 北の涯では
氷原が海に続くという
そこの話なんだ
ウオッカを飲み
リンゴを かじりながら
二人は馬にむちを
あてたという
夕焼けの海に向かって
目隠しをした馬に
何故 マミは何も言わないのだ
遠い 北の涯の話なのだ
マミ もうすっかり夜なのに
君の頬は ほの明るい
瞳に雪が降っている
それさえ 僕には見えるのだ
マミ 君の頬が濡れているのは
雪が溶けただけではないね
さあ 僕にしっかり掴まって
倒れぬように歩くのだ
あれは 遠い国の話
2009年11月28日
無題
貧乏にも厭(あ)きがきた
今にみてろと思いながら
もう 若くない肉体が
いじらしくも 毎日を働いている
何のためだか 知らないけれど
冗談等を言いながら
時には 嘘を言ってみたり
時には 真実を投げ出して
とにも かくにも 生きている
どうせ 生きねばならない世の中
今夜も十七円の湯に入り
高級車を運転して
国道をブッ飛ばす夢でもみよう
2009年12月18日
九十九里浜
九十九里の海は ゴウゴウと鳴り
風がビュービュー吹いている
九十九里の砂丘は
うずくまる 二人を乗せ
真暗な空間は 自転している
貴女は何も言わないが
私はやたらに話題を
探しては しゃべる
九十九里の海は ゴウゴウと鳴り
海は牙をむく 野獣のようだ
星一つ 雲一つ見えないが
私の心は ほのぼのと温かい
未来に 微かな期待と
不安の おののきを感じながら
ゆるゆると しかも一瞬も
止まることのない時刻(とき)
二人だけしか 知らない
時間を乗せて
九十九里の砂丘は
太陽の裏側を
悠々と自転している
2010年01月29日
登攀
山へ登るのに理屈はない
ほこりっぽい街や
煙草くさい部屋で
議論するのもまたいいが
この澄み渡った大空に
社会論や原子論を
ぶっつけることはなかろう
わがままな俺には
めっぽう居心地のいいこの山に
そんなものは真平だ
一度落ちれば死んでしまう
この鉄のような岩壁だ
錐のような尖峰だ
黙って突っ立ってるお前等だが
俺の頭ときたらよじ登るという行為で満員だ
いろんなことを
勝手に考えたがるこの俺を
何も忘れて熱中させてくれる
お前は何と素敵な奴だ
考えてみれば馬鹿なことだ
高等動物の俺様が
何でこんな所を命がけで
登らねばならぬのだ
だから利口な奴は登らない
郷愁性
一種の精神異常だな
何とでも言いやがれ
ズンと深い青空だ
黙って突っ立ってるお前等だ
俺はお前が好きなんだ
2010年03月12日
頬白に寄せて
本州の中央高地
フォッサマグナの湖の辺りに
一羽の頬白の雛が生まれた
桃の花咲く田園に
エサを求めて飛び廻る父鳥は
ふと 去る年の秋を思い出していた
一面狐色の湿原の片隅に
ひと群れの桃の花を見て
わが目を疑ったのである
そのピンクの温かさに誘われ
彼はその花に飛んだ
だが それは花ではなかった
紅さして開裂する
木の実だった
人は「十一月の花」と言う
「檀」父の頬白は
その木の名を娘に与えた
西に 東に
親鳥は 日々を炊(かし)ぎ
雛は スクスク育った
南に 北に
若鳥は思うさま
青春を羽ばたき
ユルユルと 時は流れた
「或る日」
娘は北の国に 恋を得た
母鳥の胸は痛んだ
「何故 そんな遠くへ
行ってしまうの」
だが母鳥は知っていた
娘をひきとめる術のないことを
父鳥は独り呟いた
「私達の務めは
もう終わったのだ……」と
その日から
時は急流となった
一九八〇年三月十五日
若鳥の旅立ちの日は来た
慶びの日に
別れの涙は流すまい
親鳥達は歌った
舞い上がれ 若鳥達よ
玲瓏(れいろう)の 大空切って
幸いは君達の心に
住まうだろう
北の雪に咲けよ
「マユミ」
何時の日も
温かく健やかにあれ
2010年03月13日
雲
氷河湖をまたたかせ
氷塔(セラック)をかげろわせて
悠々と 影が登る
「おーい 雲
ちょっと 僕達と
休んでいかないか」
君達はいいな
懸垂氷河も ヒドンクレヴァスも
気にしないんだから
でも見てくれ
ここから 山稜はもう
一枚の純白なサテンだ
灰色のある日
絶え間なく 稜線を
越える雲達と一緒に
僕も圏谷(カール)を下った
音の無いエロイカの
第三楽章にとり囲まれて
なぜか 僕に 遠い日の
記憶がよみがえった
「お月様(じちゃま) かくれんぼ
おふとん(おっとん)かぶって ネンネした」
幼かったベッドのわが子の
独り言だった
谷をうずめて
雲達は未だ眠っている
群羊の青い眠りだ
やがて 地平の一点が
ゆらめき 炎え上がる
そして七彩(なないろ)の絢爛(けんらん)が
君達をゆり起こすだろう
旅立ちの朝だ
雲よ
今日も僕達と
在るがままを喜び
在るがままに慟哭(どうこく)もしよう
アルプの紺青に
ポッカリ浮かんだ二つの雲
「あの雲 一つになるんだろうか」
アルペン デージーの花をかざして
妻が言った
「さあね……なるわよきっと」
雲は並んでユルユルと遠去かる
行手は輝く白い峰だ
「私達 二人っきりになるわね」
僕はボンヤリ
番(つがい)の薄羽白蝶(アポローン)の
交錯する曲線を追っていた