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2009年02月19日

山旗雲

 悪魔の黒い爪が槍沢のモレインに伸びる。すでに眼下の谷は黒い影に覆いつくされ、その中に岳樺の梢がささら箒(ほうき)のように浮いていた。
 だが、東鎌はあかあかと輝いている。圏谷(カール)の奥の槍が純白のガウンを右肩に、ペルセウスのように突っ立っていた。
 天狗の池の高みで、英子は彼に見とれている。西岳の上のコバルトブルーに、何気なく浮かんだレンズ雲。……オヤッ、伯爵夫人のお出ましだ……。一瞬いやな予感が走る。しかし私はすぐそれを打ち消した。昨日の上高地は雨だった。たぶん、風に乗り損なった彼女がうろうろしているのに違いない。私が山友Oを思い出したのは、その時だった。
「伯爵夫人といえば、ヤングミセスだとばかり思ってやがる。歯の浮くようなことを言うなっ。あいつはスケスケの白いドレスを着てるが、白髪の婆さんで、おまけに縮れ毛だ」
 彼は私の夢をこっぴどく打ち壊したのだった。あれからもう三十五、六年になる。
 ツバメ岩の根元に回り込む斑な新雪を踏みながら、私は明日の予定をはっきりと決めていた。上高地からの自動車道の混雑にうんざりして、どこか静かな帰り途を、と密かに考えていた矢先である。かつて彼と歩いた一ノ俣谷-常念岳-一の沢のコースならば、英子にとって初めての山だけに賛成してくれるはずだ、と思ったのである。
 翌日、朝寝坊のすえ遡った一ノ俣谷は、どうしてなのだろう?と首をかしげるほど昔のままの静けさだった。七段の滝の岩壁の、ナナカマドの赤が目に沁みた。二組の降りのパーティーに会っただけで登り着いた乗越(のっこし)には、秋の日差しが溢れていた。しかし昼食を済ませて登り始めた常念坊は、西の強風に追いたてられて駆け走る霧の中、ご自慢の岩の衣も見え隠れのご機嫌の悪さだ。山頂の苛立ちの中、凍える指で巻き上げたカメラのレバーがいやに軽い。何回シャッターを切ってもフィルムの表示は三十六枚で止まったきり、明らかにフィルムは空回りしていたのである。
 英子は怒っていた。無理もない。これで一ノ俣の紅葉に映える渓流も、山頂の記念撮影も、今日の写真はすべてパーである。先に立って降路をとばす彼女の肩に、B型血液が躍動している。言い訳でもしようものなら、彼女の全身は増殖炉と化すだろう。冷めるのを待つに如(し)かず、と私はゆっくりと後を追う。思えば、かつてこの山稜でOを怒らせた私である。今もまた、英子を怒らせてしまった因縁に、私は思わず苦笑した。

 あれは七月の半ばのことだった。一歩一歩、松高ルンゼを登っていた彼が、だしぬけに言った。
「セボネがな……」
「セボネ?」
「青学の背骨だよ。彼、元気か?」
「なんだ、あの人か……元気だよ」
「そうか、彼とはここで知り合った」
 セボネとは登攀(とうはん)者S氏のことである。
「あの人はいいな、兵役免除だろう」
「まあな……」
 言葉を切って私は続けた。
「おまえ、まさか、岩をやるんじゃねえんだろうな」
「ねえよ。こいつとアイゼンがあればいいって言ったろ」と言って、彼はピッケルを頭上に振り上げた。
 変な山旅だった。それまで山行の計画は私に任せっぱなしの男が、今回に限って、黙って俺についてきてくれ、と言うのである。私達は奥又白の池から四峰のフェイスの下、奥又白谷をトラバースして、その年の豊富な残雪を踏んで、五、六のコルを涸沢(からさわ)に降った。
 翌日、穂高を尻目に涸沢を駆け降った彼は、横尾の出合から本谷に入った。雪崩の爪跡を残す横尾本谷を遡行(そこう)した私達は、結局、右俣を詰めて天狗原に出たのである。天狗の池の畔でラジュースを吹かせながら、彼は言った。
「明日は常念に行こう。俺はそれから島々に寄って帰る。おまえ、どうする? あまり休みがとれないんだろう」
 その頃、私達は戦時下の世間体を気にして、山靴やアイゼン等を島々の知人宅に預かってもらっていた。だから、山へ行く時はよれよれのニッカーに地下足袋、ピッケルを放り込んだザックを背負った道路工事の現場監督さながらの格好で東京を発ったものである。
 彼のプランどおり、ただし私にとっては旅の終わりの常念乗越で、這松の中に寝ころぶと、少々気抜けして私は言った。
「変な奴だぜ。山のヘソばかり擽(くすぐ)らせやがって、挙句の果てにおまえは島々か」
「悪かったかな」
「いいや、こんなのも偶(たま)にはいいさ」
 どうやら、太平洋に腰を据えたらしい高気圧が東の空を透明な青に染めあげていた。しかし、梓川の谷はガスに埋まり、穂高は島のようだった。
「穂高が見えねえ」とボヤく彼の声も虚ろに、私は幾許かの時間をまどろんでしまったらしい。
 ふと目覚めた私の眼に映ったのは、何だか白い膜だった。ひどく風の音がしていたようだ。
 眼前にヌックと立った常念坊が雄大な雲の旗をたなびかせていた。梓の谷から湧き上がるすべての雲が、この山稜から一転して穂高に向かって吹っ飛んでいた。私は寝呆け眼をこすって言った。
「見ろよ、旗雲だ」
 彼は眠ってはいなかったらしい。「ウン」と感激のない声だ。
「見てるのか、すげえな」
 私はなおも叫んだ。
 どうしてそうなったのか、覚えがない。いつか私達は言い争っていた。彼は「山はた雲」の起こりは山端雲からきたのだと言い、私は巨大な軍勢が旗指物や吹流しを押し立てて進む墨絵への幻想を捨てきれない。「はた雲」はやはり旗からきたのだ、としつこく反発する私に、彼は本気で怒ったようだった。
「俺は旗が嫌いなんだ。軍勢も、軍旗も、日の丸だって、皆嫌いだ……。もうやめろっ」と彼は怒鳴った。
 いつにない彼の剣幕に驚いて、私は沈黙した。
 もう歩く気もなくなった。常念小屋にシケ込んだその晩、彼は素直に私に謝った。
「さっきはゴメン、俺はどうかしてたんだ。おまえの山旗雲が正しいんだ」と、戸惑う私に繰り返した。
 ランプの炎の灯る彼の瞳孔の寂寥(せきりょう)が、なぜか私の胸に悲しみを誘った。
 白けた気分をそのままに、明日の別れにつなげることが彼には耐え難かったのだろうか、と思った私の解釈は間違っていたのだろうか?
 翌朝、彼は私の山靴と二人のアイゼンの納まったザックを背負い、現場監督の姿に戻った私は、彼のベンドと私のシェンクを入れたザックを肩に小屋を出た。仰ぐ常念岳の積み重なった岩塊は、初夏の陽をちかちかと反射させていたが、梓川の谷には依然としてガスが立ち込めていた。
「晴れるといいな」
 肩に浴びせた私の声に、彼の白い歯が微笑んだ」
 私は岩ザレに腰を下ろして、岩塊の間をのろのろと登っていく彼の姿を追っていた。次第に彼は小さくなり、やがて岩塊の中に消えてしまった。それっきり、彼は二度と再び、私の前に現われなかったのである。

 常念乗越の小屋前の広場を、間近に見下ろす黄昏の中に、英子は佇立(ちょりつ)していた。私を待っていたのだろう。一台のヘリコプターが吊り下げた荷を小屋前に降ろすや否や、機体の鮮やかな黄を、薄くなってきた霧にたちまちにじみこませた。おそらく、今日の荷揚げの最終便だったのだろう。対斜面の横通岳に続く這松の斜面が、時として驚くほどの緑を燃えあがらせてはまた紫紺に沈む。あそこだった。彼と旗雲を見た所は……。
 常念小屋の翌朝は、層雲に穂高を載せて明けはじめた。やがて槍も穂高連峰もその全容を惜しみなく現わすだろう。急ぐことはなかった。今はハイヤーが寂れてしまった大助小屋のずっと奥まで入る一の沢である。ご機嫌の直った英子を誘って、横通岳に続く山稜をぶらぶらと登っていった。
 大喰(おおばみ)のカールは、誰かが落としたハンカチーフだ。あの天狗原も、氷河公園の名の方が通りがよくなった。北穂から切れ落ちたキレットの底はまだチャコールグレイのままだったが、前穂の肩にきらりと光るのは、確か奥又白A沢の詰めに違いなかった。
 Oとの山行がまたも思い出されたが、この時になって、私の鈍感な頭にも彼の意図が鮮明に映し出された。あの時あいつはヘソを点検しただけでは飽き足らず、穂高への別れの総仕上げに、この稜線を選んだのだ。しかし山旗雲が彼の願望を空しくしたのだった。
 終戦後の疎開先で彼の戦死を知った私は、彼のベンドを携えて、彼の仏前に供えた。これだけは、と懸命に磨いたブレードの鈍色(にびいろ)が、穂高の色に映えていた。
 S氏も事故で急逝されてもう十数年が過ぎた今、私だけがいまだに山をほっつき歩いている。伴侶の英子は灰色だった時代の青春の埋め合わせをするかのように、山とその自然にひたむきだ。私は彼女に一度だけでも山旗雲を見せたいと思う。
  
タグ :穂高常念岳


Posted by 松田まゆみ at 14:44Comments(0)山旗雲