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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年02月11日

殿城山(1)

 その山の名前を聞いたら「とのき山」と教えてくれたのは、確かコロボックルヒュッテの手塚さんだった。たぶん殿城山と書くのだろう。
 車山から蝶々深山(ちょうちょうみやま)に続くおおらかな尾根から、小さな痩せ尾根を分けて、その先にぽつんと立つその山は、北、東、南の三方に急峻な草付を持ち、ベーゴマを伏せたように突っ立っている。

 夏のある日、私はいつものように頂に寝ころんでいた。
 真青な空にひと握りの雲が浮かんでいる。遥か山彦谷の底から、チェンソーの物憂げな音が絶え間なく聞こえてくる。微風が鼻をかすめる。風はサリチル酸メチルの香をかすかに含んでいた。どこか近くに「いぶきじゃこう草」の花が咲いているのだろう。それとも、お隣の車山から池の平へ下る尾根から運ばれてくる香だろうか。あの尾根の砂礫地にはこの花が多い。いつか、シベリアの平原を走る列車は、その時期にはいぶきじゃこう草の匂いに満たされるということを聞いた。匂いがなければ知らずに踏みつけて通り過ぎてしまうくらい、小さな花なのだ。
 この笹の茂る小さな頂は、訪れる人のないままにいつもぽつんと孤独だ。私が諏訪に住んで十三年の間、幾回ここを訪れただろう。十回は越えているような気がする。そのほとんどが一人で来ている。二人で来たのは二回だけあった。ここは尾根から離れて突き出した岬のような小さな山の頂なのだ。だから、さっきたどってきた痩せ尾根を除いて、三方はさわやかな風に満ちた空間なのだ。こうして寝ころんでいる私に、笹の葉末を残して見えるものは、その空間に浮かぶ蝶々深山と青坊主のような蓼科山の頭と、空気の海に傾(かし)がって沈没しそうなカシガリ山だけである。

 私が初めてこの頂上を踏んだのはいつ頃だったろう。ある初夏、車山の乗越(のっこし)から池の平への尾根を下る私の目を奪ったのは、左手の谷を隔ててその急峻な山肌をニッコウキスゲで真黄色に染めたこの山であった。あの頂上に行ってみよう! 蝶々深山からの尾根を拾えば、藪をこいでもたかがしれていると思った。その山頂とのつき合いはその一ヶ月後から始まった。以来私は勝手ながらこの山を自分の山と決めた。否、私の安息の場所に決めたのである。
 車山から蝶々深山に続くおおらかな草の尾根の、防火線が左に屈曲するあたり、右側の岳樺の林の近くにこの山への入口があった。この辺から右に派生する尾根はこれひとつしかないのでわかりやすいが、入口には踏み跡らしいものもない。藤色の松虫草をかき分けて小尾根沿いに下っていくと、踏み跡らしきものが現われて痩せた尾根となり、下りきった所から登るともう頂上である。狭い頂上の笹に交じって咲いていたやなぎらんの濃いピンクが印象的だった。

 その秋も末、十一月の初めの祭日、私は萩倉から落葉の散り敷く東俣御料林の中を登っていった。私が十一月のその日を選んでその道を登るのは理由があった。その道が七島八島の湿原の落ち水を集めて流れ出すあたり、ちょうど登っていく道から狐色の湿原が見えてくるあたりに、十一月の花といわれる「まゆみ」が咲くからである。桃の花を遠くから見るように、青空に薄紅を浮かせて美しい。実際には花ではなく実なのであるが……。
 この頃の霧ヶ峰は滅多に人と会うこともない静けさの中に置かれている。この流れの岸にあるまゆみは特に美しい。それは葉が早く落ちて実だけになるせいらしい。この先の山の神の祠の傍らにあるまゆみは大木ではあるが、実が色づいてもいつまでも葉が落ちずに茂っているので、近づいてよくよく見ないと実がわからないから、桃の花が咲いたようには見えないのである。
 私は切り倒された樅の木からクリスマスツリー用にひと枝を頂戴して、これを肩にかついだ。私は山の神から冷たい風の渡る山稜を、まっすぐ蝶々深山の尾根に向かって登った。ふと「殿城山」に寄る気になったからである。この時以来、クリスマスツリーと殿城山行きは恒例となってしまった。山頂に樅の枝を放り出して寝ころぶと、柄にもなく「ああ、今年も無事終わるな」という感慨が胸にしみた。
 子供達はそのささやかな樅の枝に飾りをつけ、赤や青の豆電球をつけた。一月過ぎ、樅の葉が枯れて落ちるまで、それは部屋の中に置かれていた。その娘の名は「まゆみ」という。
  


Posted by 松田まゆみ at 13:52Comments(0)殿城山

2009年02月15日

殿城山(2)

 ある年の八月も終わりの頃であった。山小屋での夕食の後、「殿城山」に行ってみようという気になった。小屋の横で私は同宿の一女性から花の名前を聞かれた。二、三の花の名前を教え二言三言交わすうち、「散歩にでもいらっしゃるの」と聞かれた。「ええ、月が明るいでしょう。月に濡れた松虫草の原は奇麗ですよ」と言うと、「ご一緒してもいいかしら」と言う。もちろん二つ返事でOKしたが、後で聞いてみたら、彼女にとって私は未知の男ではなかったらしい。小屋の常連で、スキーでも一、二回一緒になり、夜の団欒でも話をしたことがあると言って笑われた。人の顔を覚えないことにおいて人後に落ちない私であるが、「よほど私は目立たない存在なのね」と軽く皮肉られる始末だった。
 殿城山の頂に着いた頃、西空はすでに残光も残さない夜空だったが、その代わりに月が昇って歩くのに何の不自由も感じなかった。それは海に突き出た岬だった。八子ヶ峰、蓼科山、八ヶ岳は遠近の島で、池の平の灯は漁火だった。かすかに山浦にも遠い漁火が明滅していた。山裾は暗闇の中に消え、海溝を思わせた。
「海みたい、素敵だわ。来てよかった」
 私達は月光に濡れた高原を帰途に着いた。月の光は大きな松虫草の花弁を濡らして、あたり一面濡れこぼれた感じだった。濡れこぼれるとの表現は大げさできざっぽいという人があったら、一度こんな情景の中に置かれてみるといいと思った。
 私には以前にもこれと同じような経験がある。六時頃八島を出て、月に濡れた高原を池のくるみに向かった。その時も松虫草の花盛りだった。同行の女性の腕に抱えられた松虫草の花束に、濡れこぼれる月光の美しさに、息が詰まりそうだったことを覚えている。

 先ほどまで蓼科山の頭が見えていたと思ったのに、もう消えて真白な霧に閉じ込められてしまった。「先生は大丈夫かな」とふと思った。昨夜霧ヶ峰ヒュッテで同宿し、霧があるからというので車山の肩までご一緒した大学の先生のことである。先生の名刺を戴いたが、お名前は失念した。肩から道を外さないように、道を外したら防火線通りに下ったほうがいいでしょうとお話しておいたが……。
 霧ヶ峰は家畜の冬の飼料の草刈場になるため、草を刈った跡は虎刈りになり、その縞が霧の時には道と区別できにくくなってしまう。
 私も強清水(こわしみず)から沢渡(さわたり)に行こうとして、池のくるみに行ってしまったことがある。その時もミルクのような霧に包まれた秋の日であった。厚い霧の中を歩いていると、登っているのか降っているのかわからないことがある。霧の晴れ間に、目の下に広がった池のくるみの湿原に唖然としたものだった。
 殿城山の頂に腰を下ろして私は考えこんだ。「私自身無事帰れるかな?」自信と過去の失敗の経験とがないまぜになって、自分の庭だと思っているこの霧ヶ峰で、まさかとは思うが霧の中ではどこへ降ってしまうかわからないということも、私はよく知っていた。自分を中心に一メートルの半径の外は、白くぼやけて何も見えない厚い無抵抗の壁だった。霧には音があるようだ。何やらぶつぶつつぶやいているらしい。
「もう少し状況のよくなるまで待つか」
 リュックを枕にひっくり返った。
 昨日はヒュッテの窓辺から、足早に高原を駆け去る霧を見ながら、手回しの蓄音機で主の三ちゃん秘蔵のベートーベンの「英雄」を聴いていた。フルトベングラー指揮の名演奏のせいだったかもしれないが、私は初めて「英雄」というのはいいなあと思った。その後電蓄でダイナミックな「英雄」を聴くことがあっても、あの時ほどの感興(かんきょう)は湧いてこない。濃くなったり薄くなったり、絶え間なく湧き上がり去来する夢幻的な霧がそうさせたのかもしれない。

 雪の消えたばかりの雪代沢の源頭湿原は、ぽっかりと大きな池となる。蝶々深山から派生する太い草尾根に挟まれたカール状の某所は、殿城山を知る前は私にとってひそかな安息所だった。そこは樹叢(じゅそう)もなく、日差しをいっぱいに浴びる明るい草原の盆地で、チロルにでもいるようなそんな場所だった。
 私は水のある時を選んで、熊坂長範の物見岩を越えて、わらびを採りながら某所へ降りた。そこのわらびは太くて長く、とても質の良いものだった。殿城山を知ってからの私は、春のコースとしてここから行きか帰りに寄り道をして、殿城山へ顔を出した。雪代沢の池も、殿城山周回コースとなったのである。
 車山から池の平へ降りる、いわゆる車越えのスキーツアーコースから左手に見える雪をつけた殿城山は、その急峻さと南面に露出した岩肌ゆえに、小形ながらもカッコイイ山である。私はいつかその東北の急斜面をスキーで降りてやろうと狙っていた。しかし今冬こそはと思った年の夏、急に故郷の東京へ帰ることになってしまった。そしていまだに実行していない。
 上部急斜面だけでなく後半の斜面も水楢の林や草原を連ね、結構楽しめそうで、池の平へ降りるバリエーションルートとして今でも滑ってみたいと思っている。
 東京行きが迫ったある日、私は沢渡周辺の山小屋への挨拶まわりもあって、霧ヶ峰へ登った。ヒュッテクヌルプでちょうど同じ会社に勤める女性に遭い、殿城山へ登って帰ることに相談が一決した。実は冬のスキールート下検分の野心もあって、殿城山から道のない東北斜面を降りるつもりだったので、女性には藪こぎはどうかなと考えてはみたが、信州の山育ち、黙って降ろしてしまえば何とかなるだろうと失礼ながら考えた。
 車山はハイカーで賑やかだったが、さすが殿城山頂はいつもと変わらない静けさだった。もう気軽には踏めなくなる山頂だと思うと、なつかしさが込み上げた。カシガリ山、八子ヶ峰、蓼科山、八ヶ岳、大河原峠、南平、樽ヶ沢、追分、赤沼、大門峠等々、皆旧知の間柄である。
 今降りようとする前面に蟠(わだかま)る山は男女倉(おめぐら)山である。あのたわみは星糞峠、その裾に星塚という地名があった。星糞とはこの地方の言い習わしで黒曜石のことである。往昔(おうせき)この黒曜石を加工して矢尻等を作った加工場が、和田峠を中心として存在していたという。星塚は加工屑を集めて捨てた所だったのかもしれない。
 ある年私は黒曜石を求めて星糞峠に登り、そこから尾根通しの藪を分けて虫倉山に登った。そこには和田峠付近のように真黒い黒曜石がごろごろしてはいなかったが、星糞峠では草を起こして棒切れで掘ると、珍しい無色透明の黒曜石が採れたことを覚えている。それを持ち帰って、ためしに酸水素焔で熱灼してみたら、ぶくぶくと泡だって熔融し、ついには美しい無色透明のガラス状の石となった。黒曜石は固溶体なので結晶水はないにしても、オパールのように含水しているか、加熱によってガス体を発生したか、いずれかだったのだろう。星塚という地名を残している付近でそれらしいものを探し回ったが、荒れ果ててしまって雑木や草に埋もれたか、とうとう見つからなかった。
 私達は歩きよさそうな所を選んで、急斜面を谷底に向かって降った。幸い大した藪こぎもなく、山裾の水楢の疎林の中に降りることができた。そこから池の平まで冬の快適なスキー滑降を予想させる緩斜面が、唐松と草原を点綴(てんてい)して続いていた。

 お知り合いになった山小屋の方たちも多い。ジャベルの高橋ご夫妻、クヌルプの松浦ご夫妻、コロボックルの手塚ご夫妻、今は亡き雷小屋の主、雷親父ご夫妻。奥さんは新橋で髪結いをしていたとは思えない地味な方で、秋には山梨採りや茸狩りによく連れていってくれたものだった。それから農林省のお役人だったという樽ヶ沢温泉のご主人、波岡氏。皆、今はもうなつかしい方々になろうとしている。
  

Posted by 松田まゆみ at 11:05Comments(0)殿城山