さぽろぐ

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2009年01月17日

火口原

 荒涼とした火山礫の原が、段丘状に次第に高度を下げてゆく。原の末端は、空に続く青よりさらに濃い海の青である。それは異様な高まりを見せて、この島を溺れさせようとするかのように島を取り囲んでいた。ひと筋の道がその青に、忽然と消えている。火山灰に半ば埋もれて、ひねこびたイタドリがところどころ地に張り付いている。緑はそこにしかなかった。
 振り返る山頂は、もう遠い。真黒く焼けただれた火口壁の先鋒が青空に突き刺さり、それは私に幼い日の物語に想像した鬼ヶ島を思い出させた。活火山は薄い煙を棚引かせ、あたりに人の姿は見えなかった。たった一人になれたかと思うと、何やらほっとして、私は歩度をゆるめた。急ぐことはないのである。今夜の宿に決めているK小屋には、午前(ひるまえ)に着いてしまうだろう。私が期待し、望んでいた旅のプロローグは、すでにそこに展開されていたのである。
 そこら一面、五月の太陽がぴちぴちと跳ね回り、私の若い肉体は、その光量子の散乱の中に大きく息づいていた。しかしどうしたことか、その時私の網膜には母の映像が浮かんだのである。今頃、薄暗い台所で朝食の仕度をしているであろう母の姿である。老舗の家付娘として、生活の不安を知らず育ってきた母だったが、父の破産とそれに続く家出から、想像もしなかった借家住まいに追い込まれて、ただおろおろするだけの母だった。そんな母と幼い弟達の生活は、当然学校を卒業したばかりの私と妹の肩にかかってきた。私が就職を前にして数日の旅をもくろんだのも、前途に希望を抱いた人生の門出への記念というより、「俺の青春は、家族を養うだけの労働の中にたぶん終わってしまうのだろう」という不安と失望を、せめてこの旅の間だけでも忘れてしまおうと思ったからだった。
 昨夜の海は荒れていた。季節はずれの台風の余波だという大きなうねりが、船の舳(へさき)に砕けて甲板を荒い、食堂で夕食を摂った船客は、私を含めて三、四人しかいなかった。真夜中に到着予定のM港には艀(はしけ)が危険なために上陸できず、波止場のあるO港に着岸して、突堤を洗う大波の中をロープを頼りに上陸したのは午前三時頃だったろうか。それから懐中電灯を手に、M山に登ったのである。
 高度が下がるにつれイタドリは地を覆い、芒(すすき)の群落も見えはじめた。幾本かの木々も若い緑を広げているようだったが、何の木だったのか? 私には覚えがない。私は、すべてを忘れようと努めていた。東京へ帰れば、ただ働くだけの生活が始まる。私には、自分の将来が灰色に閉ざされているとしか思えなかったのである。
 海からの風が強かった。どこにあったのか、老人のように腰の曲がった去年の枯葉が一枚、私の足元をカラカラと音をたてて飛び去った。いつか、私はミニヨンの「放浪人(さすらいびと)の歌」を口ずさみながら、遥かの海に向かって歩み続けていった。

  我 山より来ぬ 谷は遥かに
  海は鳴る 海は鳴る
  うらぶれて 放浪て
  我 吐息す 「何処ぞ」と……

 この歌が、特に好きだったわけではなかった。青空は限りなく淋しかったが、また限りなく明るくもあった。
  


Posted by 松田まゆみ at 09:46Comments(0)トベラの島

2009年01月18日

出会い(1)

 あてにしていたK小屋は釘付けで営業していなかった。山小屋と違い、暖かい海岸のK小屋は年中開業しているだろうと安易に思い込んでいたのが間違いだった。考えてみれば、客の滅多に来ないこの季節に営業しているはずがなかったのである。ここは夏だけの小屋だったのだ。仕方なく私は海への小道を下っていった。海際の断崖の上、そこにはものすごい光景が現出していた。沖からの巨大なうねりが白い波頭を乗せて、数限りなくこの島を目がけて押し寄せていた。それは足元に切り立つ断崖の岩壁に打ち当たり、轟音を上げて舞い降りる。その中に、虹が幻のように五彩を残しては消える。足元の大地は揺れ、後には異様な静けさが残った。私は息を詰め、かつて経験したこともない光景に長い間釘付けにされていた。
 何もかも忘れ、海を離れて丘を登り返していた私の目の前に白い道標が立っていた。「G窟へ」と指し示された矢印の道は、厚く散り敷いた枯れ松葉に木漏れ日を落として松林の中に消えていた。考えるまでもなく、私はその道に踏み込んでいた。長い毛足の絨毯(じゅうたん)の上を歩くような足裏の感触と樹脂の匂いの漂いに、私は求めていたものに初めて出会ったような喜びを感じた。ときたま遠雷のように先ほどの轟音が聞こえていた。人の気配も感じられぬ真昼の静寂の中を、私はこの松林の道がつきるのを恐れ、できるだけゆっくりと足を歩んだ。

  陽さえ我に冷たく
  花も実も素枯れて
  我は旅の御空
  何処ぞ 何処ぞ 恋う国は
  求め探せど 未だなし

 また口にのぼってきた「放浪人の歌」だったが、誰もいないままに私はいつの間にか声高に歌っていた。
 道は次第に海に近づき、ぐっと右に曲がる。曲がった途端、すぐ目の前にいないはずの人の姿を見て私はギクリと足を止めた。もちろん歌声も止まっていた。歌を聴かれていたと思うと恥ずかしさが込み上げたが、このまま黙って引き返すには相手が近すぎた。
 その男は私に背を見せてキャンパスに向かっていたが、振り返ろうともしなかった。私は思い切って歩を踏み出すとその横をすり抜けながら軽く頭を下げたが、ついでに荒いタッチのその絵を一瞥(いちべつ)することも忘れなかった。しかし四、五歩行き過ぎた時、後ろから呼びとめられてまたギクリと立ち止まった。
「どこへ行くの? G窟なら今日は駄目よ」と言ったその声は、意外にも女の声だったのである。
 振り返った私に、まさしく女の顔が笑いかけていた。
「岩屋はそこから崖を降りて海沿いに行くのだけれど、今日は荒れているから波にさらわれるわよ」
 斜(はす)に被った黒ベレーの彼女がまだ若い女性だとわかった途端、私はかすかに頬の火照りを感じた。「これはいけない」と思うと同時に、火照りは急速に顔中に広がっていった。
「そこの崖っぷちから見てごらんなさいよ。それとも……死にたいなら止めないわよ」
 女の言葉が終わらないうちに、私はくるりと背を向けて崖際に走り寄った。耳のあたりまでカッカと火照ってきたのを隠すためだった。
 目の前には屏風を立て連ねたような海蝕崖(かいしょくがい)がゆるくカーブを描き、その下に怒涛に泡だつ海岸線が見えたが、私は頬の火照りを消すのに懸命で、ろくろく見もしなかった。ずいぶん長い時間のように思われたが、火照りの冷めるのを感じ私は彼女の方に戻った。また赤くなりそうで、彼女の頬は見ずに言った。
「止めますよ。命が惜しいから」
「そう、その方がいいわ」
 絵から目も離さず彼女は言ったが、私はその頬が忍び笑っているようで、「どうもありがとう」と小声で言うと、そっと横を通り抜けた。
 曲がり角でちょっと振り返ってみたが、男と見違えるのも道理の赤と黒のチェックの肩幅が、もう振り向きもしなかった。
 赤面したのが確かに彼女にはわかったはずだ。
「チクショウ! どうして俺はこう……。まあ、後悔してもはじまらねえや」
 私は、つい独り言を言いながら、まだこだわっていた。
「さて、今夜のネグラはどうしようか……」
 考えようと思いながら、さっきの赤面の場面ばかりが頭に浮かんできて、それを消そうと懸命になっているうちに、またK小屋の前に来ていた。松葉の道も樹脂のにおいも気づかなかった。
 日当たりのよい庭前の芝生に寝ころんで朝食の残りを平らげ、乾パンをボリボリかじりながら考えた。小屋の縁の下へでも潜り込めれば宿泊がロハになることは、先刻考えていたことだ。しかし、この小屋は基礎のコンクリートの所まできっちり板壁が張ってあり、風抜きの穴には鉄棒が嵌(はま)っていた。入り口も窓も抜板(ぬき)が釘付けになっている。近所に泊めてもらえる民家らしいものも見当たらない。探して歩くのも面倒臭かった。
「まあ、いいさ……」
 黒潮に囲まれたこの島だ。上野駅の地下道よりずっとましだろう。雨も降りそうにないし、乾パンも二袋ある。山のオカン(野宿)には慣れていた。と、決めたら気が楽になって無性に眠くなってきた。無理もない。昨夜からほとんど眠っていなかったからだ。私はそのまま太平の眠りに落ち込んでいった。
  

Posted by 松田まゆみ at 13:20Comments(0)トベラの島

2009年01月19日

出会い(2)

 なにやら、遠くでかすかに歌声が聞こえる。俺が歌っているのかな、と思ったのはそれがどうやら「放浪人の歌」だったからだろう。歌声はしかし、だんだん大きくはっきりしてきた。と思ったら、意識が蘇り目が覚めた。歌は夢ではなかった。確かに私の頭の斜め左、それもすぐ傍らから小声だがはっきり聞こえる。あの女(ひと)に違いない。私は照れ隠しに目をこすりながら起き上がった。
「目が覚めた?」
 二メートルほど離れて、やはり芝生に足を投げ出した女が笑いかけていた。折り畳んだ画架とキャンバスが傍らに放り出してあった。
「いつまで寝てんのさ。風邪ひくわよ」
 先ほどはろくに顔も見なかったのだが、アテーナかミネルバか? 彫刻のように引き締まった浅黒い顔が白い歯並を見せていた。
「あんた、これからどこへ行くつもり?」
「ええ、それなんだけど……」
 私はまだはっきりしない目を擦り擦り答えた。
「考えているうちに眠くなっちゃって……」
「のんきね。今の季節にはバスはないし……。ここへ泊まるつもりだったんだろう? 宿屋のある所まで、歩けば四、五時間かかるよ」
「そうですか。実は、いざとなったら縁の下のご厄介になるつもりだったけど、この小屋、縁の下に潜り込めないんですよ」
「フフフ、よかったわね、入れなくて。縁の下で鼠と同居したらどうなると思う。島の鼠は大きくて獰猛(どうもう)よ。鼻の頭、かじられるわよ」
「ウェー、おどかさないでよ。このあたりで泊めてくれそうな民家(うち)、知りませんか?」
「あきれた人ね。民家は一時間くらい先の入江の中よ。でも、男の子ってのんきでいいね」
「男の子じゃなくて、僕は一人前の男ですよ、もう……」
 相手の気軽さに、私も口が軽く動いた。
「あら、そう……。でも君は全然男臭くないよ。男の子にしときなよ」
 この辺から彼女の口調は俄然、男っぽくなった。しかし、十年もつき合った友だちのようにというより気の置けない姉に対する弟のように、私には何のこだわりもなく話ができるのが不思議に思えた。私は彼女を二つ三つ年上かなと思ったが、彼女は私を学生と思っているらしかった。
 陽は西に傾きかけていたが、この島の東岸は暖かかった。芝生の緑の向こうに、相変わらず濃青の海がアメリカまで何もないかのように広がり、光が満ち溢れそうだった。
「あんた今時分、何しにここへ来たの?」
「何しにって……。なんとなくムシャクシャすることがあって、お金のなくなるまでほっつき歩こうと思って」
「そう……。私はひょっとしたら自殺志願の文学青年かと思ったよ。ゲルピンなら、私の泊まっている家に泊めてやろうか……。それとも縁の下の方がいい?」
「イヤー、鼠はゴメン。性に合わないんですよ」
「ホホホホ、じゃあ決まった。ついてらっしゃい。白いご飯食べさせて、お布団の上に寝かしてやるから。私は捨て猫を一匹拾ったと思えばいいんだから……」
 こうして私に捨て猫の道中が始まった。サブザックを負った私は空いた手に画架を持ち、絵の具箱と画板を持った彼女と連れだった。海沿いを白くうねる道に、二つの長い影が落ちていた。両側の濃い緑は、そのクチクラが照り返す艶やかな濃緑の椿である。ゆっくりと歩を運びながら、私はこんな風景をどこかで見たことがあるような気がしていた。映画の中であったか絵画だったのか思い出せなかったが、木々は椿ではなくオリーブだったと自分で勝手に決めていた。
 これがSとの出会いである。
  

Posted by 松田まゆみ at 13:09Comments(0)トベラの島

2009年01月20日

S島へ

 海面を覆っていた朝霧が風に吹き払われて山手に昇っていくと、コバルトの海と入江に延びた突堤が見えてくる。そこには七、八艘(そう)の漁船と、際立って美しい白塗りのヨットが浮かんでいた。それがSのヨット「ダフネ」である。ヨットはエンジン付きだという。この辺の海は潮流が速く流れも変わりやすいので、エンジン付きでないとさすがの女丈夫も怖くて乗れないのだという。
 あの船に乗ってS島に渡るという、私にとって信じがたい事実がこれから起ころうとしていた。私の胸はときめいた。この興奮は昨夜からずっと続いているものだ。海沿いの道から少し登った山腹にあるSの知人だという家は、老夫婦二人だけの静かな住居である。石榴(ざくろ)の大木のある庭から真下に、小さな防波堤に囲まれた漁港が鏡のような海をたたえていた。
 昨夜はSと遅くまで語り合った。人には向かい合っていると妙に気詰まりで、話題に困る人がいる。反面、次から次へと話題が湧き、時を忘れて話し込んでしまう人間同士もいる。そんな人に限って、たとえ長い時間を黙って相対していたとしても、まったく気楽な気分でいられるものだと思う。気が合う、ということなのだろう。
 Sも私も山が好きで、山の話はつきることがなかった。彼女は二日前に、絵を描くためにこの島に来たのだという。ただし絵は余技だという彼女がどんな種類の女か、私には見当がつきかねていた。金持ちで暇を持て余しているお嬢さん、という柄にも見えなかった。彼女は、東京の大きな商事会社に勤めている英文タイピストだと言った。その頃、女性の英文タイピストは数少なく、高給取りだということを私も知っていた。暇のある職業ではないが、亡父の法事を理由にぴんぴんしている母上まで病気にしてしまって、十日間の休暇をとってのんびりしているのだと言って舌を出したのだ。ダフネは、欧州航路の客船の船長だった父の形見だという。
 ごく自然の成り行きで私はSを「姉さん」と呼び、彼女は私を「坊や」と呼ぶことになってしまった。そんな彼女は言った。
「坊や、明日私と私の島に行かないか? 家に泊めてやるよ、もちろんロハで……。私の島は小さいけど静かで、こんな島よりよっぽどいいよ。船には強いんだろう?」
 私は内心期待していたその言葉に、シメたと思った。Sとの外洋帆走、そして小さな島。私はぞくぞくするほど嬉しかったのだ。渡りに船なんてもんじゃなかった。船酔いには自信があるけれど、あまり厚かましいから……と一応は遠慮したものの、「遠慮するなって、山の男らしくないぞ」と言われると、一も二もなかった。Sは笑って言った。
「家にはオフクロっていうおとなしい動物が一匹いるだけ……。私の天下なんだから、気を使うことなんてないよ。だけどね、船に酔ったって岸につけてなぞやらないぞ。覚悟してろ」
 もちろん、私もそれは承知している。島から島へのセーリングでは、船つけようにもつける場所がないのだから……。
 出帆の準備は楽しい。甲板を洗う。船室を掃除する。油を補充して、エンジンの試運転をする。帆のセットも終わり、私は風見代わりの真赤なリボンを帆柱に結びつけた。
 実のことろ、私はヨットの経験があった。東京湾、葉山等でだったが、親戚の持船を借りて従弟と帆走を楽しんだ一時期があった。もちろんダフネのように立派な船ではなかったし、外洋といえる海は未経験だった。
 アンカーロープを整理している私を見て、Sは怒鳴った。
「コラッ、坊や! 君はヨットやったことあるなっ。わかるよ、私には……」
「フフン、ディンギーなどちょっとね。でも外洋は初めて。せいぜい三崎沖くらいしか出たことないんだ」
「フーン、楽しくなっちゃったな。ようし、それじゃあコキつかってやるぞ……。ほんとうはこの船、一人じゃ手に余るんだ。助手がいるとわかったら、少しセーリングで遊ぶか……。エンジンで行っちゃうつもりだったけど」
 Sの言葉はまるっきり男のそれになっていた。
「もち、セールだよ。姉さんの腕が見たいもん」
 この機会を逃したら私は一生、外洋の帆走などできないだろうと思うと、一時間でもいい、帆走してみたかった。
 大きなくらげが舷側に浮いていた。寒天のような傘を広げ、真青な海にのんきげに浮かんでいた。振り仰ぐ海蝕崖の上は滴るような緑で、その中に民家の屋根がぽつりぽつりと見え隠れした。私は、オセアニアのどこかの島にいるような錯覚にとらわれていた。
 纜(ともづな)をといて突堤をひと突き、ダフネは静かに海面に滑り出た。私はSの真紅のネッカチーフを頭に被り後頭部で結ぶと、舳の甲板に立った。
「ヨーソロ、面舵一杯!」
 ジフ(三角前帆)がはためく。
「いいぞいいぞ、赤い海賊」
 Sが冷やかす。
 この瞬間、私の頭からは何もかもが吹っ飛び、その昔、地中海を荒らし回ったという海賊シーフォークの気分になる。いささか重量感に乏しいシーフォークであったが……。
 外洋は昨日の名残のうねりが大きく、さすがに私の肝を冷やしたが、それもはじめのうちだけだった。私達は洋上遥かな積乱雲に向かって、クローズホールド(風上に向かってジグザグに走らせる航法)に入った。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:07Comments(0)トベラの島

2009年01月21日

Sの家

 樹陰に陽のこぼれる石畳の坂道を、トンカントンカンとのんびり木霊する船大工の槌の音を背に、私達は登っていった。ほかには何の音もしない。狭い石畳の道は、どこまでも続く。雨の多い島なのである。緑の奥に屋根だけをちらほらさせる民家が、わずかに人の生活を匂わせていた。だった一人行き会った老婆は、立ち止まって丁寧に頭を下げた。両側に続く生垣の道を二十分ほども歩いただろうか、道は海に向かって下る。左側の山茶花(さざんか)の垣根が途切れると、黒く塗られた立派な門が現れた。そこがSの家だった。
 玄関に導く青い敷石の両側には、今が盛りのトベラの白い花が咲き乱れ、その特異な匂いを漂わせていた。Sに続いて玄関に入ると、いきなり正面の立屏風の虎が目に飛び込んだ。真赤な口をクワッと開いて、金色の眼が私をにらんでいる。不用意に飛び込んでしまった武家屋敷、私にはそんな第一印象があった。
「ただいま、私よ」
 Sの声に出てきたのは、和服の似合う上品な婦人だった。
「男の子、拾ってきちゃった。泊めてやって……」
 Sの陰に小さくなっていた私に、婦人は頬を綻ばせた。
「まあまあよく。このハネッ返りの母でございます。さあ遠慮しないで、どうぞ」
 こうして通された青畳の匂う十畳に、私は一人ぽつんと取り残された。Sはなかなか出てこない。紫檀の卓子の上には漆塗りの菓子皿に厚切りの羊羹がひと切れと、真白に粉をふいた干し柿が、ふっくらと置かれていた。Sの母の人柄とこの家の品格のようなものに気押しされて、私は茶菓に手が出ない。
 お茶だけ飲むと、いっぱしの芸術品に見える羊羹の黒ずんだ紫を見つめているだけだった。
 二十分もそうしていただろうか。静かに襖(ふすま)が開いて、黄八丈に濃紫の帯を締めた娘さんが手をつかえた。私はびっくりして座布団から跳びすさったが、ゆっくり顔を上げた娘さんはまさしくSだった。
「エヘヘ」と笑うと、Sは言った。
「どうだ、驚いたか! 見違えるほど女らしいだろう」
 強要されては、お世辞にも女らしいとは言えなかった。
「うん、驚いたよ。やはり姉さんも女か? 化け方がうまいや」と、やっと切り返した。
 しかし白粉気こそなかったが、紫の三尺が似合う娘らしい娘だったのである。Sはずかずかと私の隣にきて足を崩すと、「何さ、まだ食べてないの。お腹空いているんだろう」と言った。
「だって、この芸術品みたいなの、なんとなく手が出ないよ」
「馬鹿ね。それ、私が買ってきた虎屋の羊羹だよ。干し柿は母の手製。食べなさいよ。後でお腹の膨らむもの作ってやるからさ」
「あーあ、やんなっちゃうなあ。姉さんは雰囲気も何もぶっ壊しだよ」
「言うわね。何さ、借り物の猫みたいに……。そんな柄じゃないだろう」
「えーえ、どうせ捨て猫ですよ」
 私は羊羹を頬張った。何を隠そう、ぺこぺこにお腹が空いていたのである。
 空け放された庭の木立越しに海が見えていた。母屋の左手は鉤の手に曲がって、レンガ造りの洋館である。白いレースのカーテンが風にそよいでいる。広い庭だった。芝生に花壇が切ってあり、洋館に沿って浜木綿(はまゆう)が白い花を咲かせていた。
「いいなあ……。こんな所に僕も住みたいよ」
「いいもんか、こんな家、非能率的で……。でも花は奇麗でしょ。母はこのお花を切って、毎日のように父のお墓に供えるのよ。島の習慣だけどね。お墓の花は絶やさないの。後でお墓に行ってみようよ」
 その夜、私は生前の父上が使用していたという洋館のベッドに寝かされた。マントルピースの上の古いモデルシップが落ち着いた雰囲気を漂わせ、久しぶりの深い眠りに私を誘ったのである。
  

Posted by 松田まゆみ at 17:01Comments(0)トベラの島

2009年01月22日

地獄(1)

 傾いた陽に黒い影を落として、石畳の道を先に立って登っていくのはSである。黒地に白の大柄な飛白(かすり)を着て、蜂のようにくびれた胴に赤い三尺を無造作に締めている。「帯なんか、苦しくって」という彼女なのだが、おかっぱの少女が締める三尺が、ちっとも不自然には見えなかった。むしろ奇妙ななまめかしさが私には感じられた。それはSの外人並みの腰の線や、そのあたりまで垂れ下がった長い髪のせいだったかもしれない。私はふと、彼女には異国人の血が流れているのではないか?とさえ思った。彼女の肘から曲げられた腕には籐で編んだ大きな篭が提げられていたが、何が入っているのか私は聞きもしなかった。
 私は半袖のシャツに紺のズボンという平凡な服装だったが、手には不相応に大きなランタンをぶら提げていた。それは船乗りが使う時代物の大型ランタンだった。どんな嵐の中でも大丈夫という代物だけあって、ホヤのガラスは太い針金の編目で保護されていて、はなはだしく重かった。
「今日は夕焼けを見て帰りが暗くなるから、懐中電灯を持っていこう」と言うSに、私はランタンを持っていこうと提案したのだ。土間の梁に下げられて埃だらけになっていたのを、私が奇麗に掃除したものだ。
「そんなもので気分出そうっての? ロマンチストさん!」と冷やかされたが、「好きだねえ、重いのにご苦労さん」と、反対はしなかった。私は橙色のその柔らかい明かりが好きだ。大きなこのランタンは、広い範囲を柔らく照らすに違いなかった。
 集落を抜けると、椿の荘園の中を行く。すでに花は落ち、濃緑の葉の間に薄い緑の実を覗かせていた。下枝を伐り払われた灰色の滑らかな木肌が、整然と立ち並んでいる。葉陰で首を傾ける四十雀(しじゅうから)が可愛かった。
 道はやがて雑木林に入り、紫陽花(あじさい)の花が目立つようになる。淡青の手毬(てまり)花が陽の傾いた林の中に幾つも浮かびあがった。その中にひときわ白く咲き匂うのは、トベラの花である。それはところどころ細くなった道をふさぎ、花に触れまいと重いランタンを持ち替える手が忙しい。でもその細かい花びらは、道に散り敷いていた。トベラの花の匂いは悪臭と感じる人がいるかもしれない。しかし、仄(ほの)かに匂う時のそれが私は好きだ。
 島ではこの木をシッチリバッチリの木と呼ぶ。この木を燃やすときの音からきたものだという。お正月にトベラの枝を燃やして悪魔払いをするというのも、燃える時の臭いで悪魔を追い払うのだろう。私は島の人々の生活がにじみ出たその名に、一層の親しみを感じた。
 松の梢を渡る風の音だったろうか、海蝕崖を洗う波の音だったろうか、遠くに絶え間ないざわめきがあった。ランタンは重かったが、Sと歩くこの道が、私にはこの上もなく楽しかった。Sはしかし、私の気持ちも知らぬげに足を速めた。
 間もなく道は海蝕崖の上に出て、途絶えたように思われた。Sは道を離れ、潅木を押し分けて小高い丘を目指して登っていく。そこは海蝕崖の突端で、背の低いトベラやツツジの点在する小さな草原になっていた。眼下に太平洋、そして背後には黒松の林が続いていた。Sは崖の縁に立つと、目の下の海際や海中の岩礁に牙のように突っ立つ幾つかの岩塔を指差して言った。
「あれがG岩、こっちがN岩、向こうがM湾よ。もうじき陽が沈むわ……。ここの夕焼け素晴らしいの。私、大好き」
 M湾は海蝕崖に囲まれた円い弧を描いた大きな湾で、昔の噴火口の跡だという。大小の岩礁や岩塔が顔を出し、海の青一色は、そこだけが波に噛まれて白く泡だっていた。
 私達はSの手製のデセールをボリボリかじりながら夕映えを待った。
 夕照(せきしょう)は美しく、そして儚(はかな)いものだ。その儚さゆえに美しいのかもしれない。空にピンクが刷かれると水平性が金色に輝き、波がラメの布地を織ると見る間に大気は真紅に染まる。海風に乱れる髪を掻き上げるSの指を、腕を赤々と照らして、一刻(ひととき)の休みもなく紫から青黒に沈潜していく。
 私達は声もなく息をつめ、その短い時刻(とき)を追う。惜しむ暇もない、その時刻を追う。そしていつか、黄昏が風景に忍び寄る。
  

Posted by 松田まゆみ at 15:02Comments(0)トベラの島

2009年01月23日

地獄(2)

 Sが突然立って言った。
「さあ、行こう」
 私はびっくりしてSを見た。
「もう帰るの?」
「これから、まだ行く所があるの……。行こうっ」
 Sは私の手を引っ張って立たせた。
 歩きながら、Sはトベラの花房を摘んでは篭に入れている。私もSと肩を並べた。この夕暮れに、Sはどこへ私を連れていくというのだろうか。
「どこへ行くのさ?」と私は聞いた。
 黄昏の中でSは立ち止まり、私の眼を覗き込んで笑った。
「地獄へ行くんだよ」と、小さな声で言う。
「えっ、地獄?」
「そう、地獄さ」
 Sの低い声に冗談と知りつつ、私は何か知れずぞっとするものを感じた。
 元の道に戻ると、Sは断崖の方に歩み寄る。
「飛び降りるのでは? まさか」
 一瞬そんな予感めいたものを感じた私は、すぐそのばかばかしさに苦笑した。崖淵で振り返ったSが微笑して言う。
「ここから降りるよ。道があるのさ」
 道は途絶えていると思ったのだが、実はそうではなかった。急な崖の岩壁には、電光形にかなりしっかりした足場が刻まれてあった。
「滑って落ちた慌て者もいるのだから、気をつけなさいよ」と再び言い、Sはどんどん下っていく。
 道の悪さより、私には右手六十メートルはあろう垂直の岩壁の真下の薄闇がひどく気味悪かった。そのあたりには黒い海が入り込んでいて、白く泡だった海水が、何か得体の知れない獣が蠢(うごめ)き息づいているように見えたからだった。
 降路の正面には崖下からそそり立つ二つの岩塔が黒々と立ちはだかっていたが、ちょうどそれは高さ四十メートルを越える大岩塊を、巨大な鉈で一気に割り裂いたもののように見えた。
「あれが地獄?」と聞くと、低い声で「違うよ、あれは地獄の門」とSは答える。
 下りきった地獄の門のあたりは薄闇に包まれていた。湿った空気の漂いの中で、Sの顔が微笑んだ。
「あの門をくぐって、二人で地獄に落ちようよ」
 私の背すじを、またしても冷たいものが走った。別に怯えていたわけでもないのに、「おどかさないでよ」と言う私の声は少し嗄(か)れていた。
 地獄の門の岩壁の狭間には細い道が吸い込まれていたが、その限られた狭い空間の向こうには明るく白い海が光っていた。
 そこは岩塊がごろごろと積み重なっている岩礁で、足元の岩盤の溝には赤茶けた水がたまっていた。磯の香に混じって、異様な臭いが鼻をかすかに刺激した。
「三途の川よ」と言って、Sは溝を飛び越えた。
 大岩をぐるりと回ると、その岩陰にかなり大きなタイドプール(引き潮の時、海岸の岩間に海水が取り残されてできる水溜り)があった。しかしそれはただのタイドプールではなくて、水面に白い湯気を漂わせている海辺に湧く温泉だった。「そういえば、この島は火山島だったっけ」と、今さらのように私は温泉の存在を認識するのだった。
「なーんだ、温泉か!」
「そうさ、坊やを洗ってやろうと思ってね」
 天然の岩風呂は三方を大岩に囲まれ、海側だけが開いていて、そこから岩の裂け目を通じてすぐ前の海と連絡していた。波が寄せるたびに海水は湯船の中に少しずつ入り込んでいた。大潮の時はたぶん海面下になるのだろう。付近の岩床や岩塊には薄緑の藻類が付着していた。湯船は広く、いくらか濁っていて底は見えなかった。奥は岩の陰で暗かった。前面の海には幾つもの岩礁が入江を鎧(よろ)うように立ち並び、それらはみな水蝕によって奇怪な形に削られていた。空にも海にもまだ残光があったが、背後を限る島の岩壁は上部のピンクを残してすでに夜の色だった。
 私は平らな岩の上に腰を下ろして、傍らにランタンを置いてから言った。
「姉さんに、すっかりおどかされちゃった」
 Sも私の横に腰を下ろし、笑って「地獄のことか……」
 そして後を言わずに、じっと空を見上げていた。
「地獄か……」
 再びSは独り言のように言ったまま、黙り込んでしまった。
  

Posted by 松田まゆみ at 16:35Comments(0)トベラの島

2009年01月24日

地獄(3)

 空に二つ、三つと星が現われはじめると、たちまちその数を増していった。私はランタンに灯を入れる。その炎はオレンジ色の柔らかな光の輪を周囲の岩に投げかけたが、その意外なほどの明るさも、湯船にはかすかに光を届かせるだけだった。
 思い出したようにSが言った。
「入りなさいよ。汗を流すといいわ」
「でも熱くはない? 僕は猫なんだから」
「ぬるいから大丈夫だよ。さあ、タオルよ」と言う。
 私がまだもじもじしているのを見ると、「恥ずかしいの? じゃあ、私は岩の後ろに退散するからさ」と言って立ち上がった。
 私はその言葉に、「姉さんは入らないの?」と言いかけたが、思い直して口をつぐんだ。恥ずかしい気持ちが先に立ったのだ。
 服を脱ぐと、海水の入り込むあたりから私はおそるおそる湯の中に足を滑り込ませた。湯はぬるく、底は粗い砂地だった。湯の中から、暗い磯に波が静かに砕けているのが見えた。空ももう夜で、数知れぬ星々が競うように輝き出していた。
「どお? お猫さん、いいお湯?」
 岩の後ろからSの声がかかる。
「うん、とても! 星も素敵だし!」
 しばらく間を置いて、またSの声がした。
「私も入ろうかな……いけない?」
「うん、いいさ」
 もしかしたらと、そんな期待もないではなかった私だったが、いざとなると急に心臓の鼓動が高まった。
 突然、はらりと岩越しに湯の中に白い物が投げ込まれた。続いて、ぱらりと投げ込まれた白い物は湯壷に浮いて強い匂いを湯の面に漂わせた。トベラの花だった。
 岩間にちらりと白い肩らしいものを見てSが来るのを意識すると、私は目をそらせて湯船の奥に向き直った。
「向こう向いてて」と言うSの声。
 身体を湿す湯の音に、閉じられた私の網膜は、すらりと長いSの足が湯の中に滑り込むのを捉えていた。
「匂うね、トベラの花……。もうこっち向いてもいいよ」
 頭の上に束ねられた髪の毛を、双手を上げて直しながら言った。
「びっくりした? はしたない女だと思ったろう?」
「ううん、そんなこと……」
 私はその先を何と言おうかと戸惑ったが、やっと「姉さんだもの、いいじゃない」と言った。
「そうだったね。白状するとね、島の若い男や女達はここへよく入りにくるのよ。混浴ね。島では当たり前のことなんだけど、東京に住んでいた私は島に友達もいなかったし、村の人と一緒に入る気になんかなれなかった。でも、ちょっぴり混浴のスリルも経験してみたい、なんて気はあったのさ。そこへ坊やというカモでしょ」
「でも、今ここへ村の人が来るカモよ」
「来っこないさ。そういう時と日を選んだんだもの。でも難しいのよ、このお湯の時間。満潮でも、潮が退きすぎていてもいけないし、雨でも駄目。昼間は人が来るし、それに今は海老の漁期で村の人は忙しいから来ないよ」
「それにしても、演出は満点だったよ。姉さんは芝居がうまいよ。すっかりかつがれちゃった」
「フフフフ」
 岩の簀(すのこ)に腰を下ろした私の背中を、Sはごしごしと海綿でこすってくれた。
「案外、筋肉がついているね。山やスキーをやっているからかな。さあ、もういいよ」
 平手でピシャリと背中を叩かれて、私は湯船に飛び込んだ。
 Sは海に向かって両腕を上げ、髪を結っている。ランタンの淡い光を片側に受けて、白い背や腕が星をちりばめた空に浮く。やはり女らしいふくよかな線だった。
 私はヨットの中でSから聞いた、人魚の話を思い出していた。N島のA神社にまつわる話である。
 昔、ある鮑(あわび)採りの漁師が近くの磯で潜水していると、海底の岩の上に子どもを抱いた人魚が腰をかけているのを見つけた。人魚も人間にその姿を見られたことに気づくと、漁師に「お願いだから、私の姿を見たことをほかの人に言わないでください。でないと、私はあなたを取り殺さねばなりません」と頼んだ。漁師は十数年間その約束を守っていたが、ついにある会合の席で、酒の酔いも手伝ったのだろう、このことを自慢げに仲間達に話してしまった。その翌日の夜から漁師は急に高熱を出して、数日を経ずして死んでしまった。仲間はそれを知るとおののき恐れ、人魚を神にまつりA神社と名づけた。という物語である。
 私はSの背に向かって声をかけた。
「姉さん、人魚みたいだ」
「馬鹿!」
 Sは振り返ると、掌に湯を掬って私を目がけてひっかけた。そして私の逃げる隙にお湯の中に飛び込んだ。
「坊やがあんなこと言うものだから、腰から下に鱗が生えてきそうだよ」と言った。
「姉さん! 姉さん見たって言わないから、取り殺さないでよね」
「許せないよ、ゴルゴンにしてやる!」
 沖に漁火らしい赤い灯が点々と連なっていた。ときたま海面が青白く光るのは、夜光虫だろうか? 灯台の投げかける光だろうか?
 降るような星空だった。
 トベラが匂う。暖められてにじみ出したその精油の匂いは強い。それはもはや香とはいえなかった。野生の匂い、妖しく悪魔的ともいえるその匂いは、私にはあまりにも刺激が強すぎた。花びらは白く点々と湯に浮かび、Sの丸い二の腕にまつわりついて離れようとはしなかった。
  

Posted by 松田まゆみ at 14:13Comments(0)トベラの島

2009年01月25日

Sの入江

 入江の奥の海蝕崖の岩根に、波が寄せ集めてつくったのだろう、小さな砂浜があった。そこは海蝕崖に取り囲まれて一方だけが海に面していたが、その海にも岩礁が立ち並んでいて船からも砂浜はほとんど見ることができないという。「Sの入江」、そこへは引き潮の時だけ崖下の海沿いを歩いていくことができた。背後の切り立った断崖は頭上に覆い被さって、登ることも降ることもほとんど不可能のようだった。
 Sがここを見つけたのは、少女の頃だったという。Sは誰も来ないここでの、孤独の時間を愛した。
 私達が行った時、その小さな砂浜には何がここまで運んできたのか、ひと群れのハマダイコンが根を下ろし、薄紅の花を咲かせていた。二人はその花の傍らに仰向けに寝て、足を伸ばした。
 この季節には珍しく三、四日続いた晴天も、今日は朝から霧が深かった。それでも日光は霧のヴェールを通して砂を温め、ぽかぽかと暖かかった。霧は海から生まれて島に押し寄せ、薄れながらも断崖に沿って這い上がる。太陽は鈍く海面は鉛の色だったが、ときたま波がきらりと光るのは、霧の薄れたところでもあったのだろうか。
「姉さんは、ほんとうはすごくロマンチストなんだと思うな」
 寝たまま私は言った。
「ロマンチストは君の方だろ。夢を食べてる……そうだろう。獏みたいな子」
「それで生きていけたらいいな。だけど僕には食べさせてやらなければならない母や弟妹がいるんだ。でも僕は生まれつきのんきにできてるから……」
 それきりSは黙った。私は両手を頭の下に当てがい、目を閉じた。
 私の頭の中に、忘れたはずの思い出がまざまざと蘇った。海と、崖と、砂浜と……。私の若い心に、今も癒えない大きな傷跡を残したその出来事から私はいつも逃げようとしていたのだったが……。長者ヶ崎の小さな入江もM子の面影も、Sの傍らにいて私は素直に受け入れることができた。
 M子と私は小学校の同級生だった。卒業して八年後、久しぶりに開かれたクラス会で再会したM子は、別人のように美しくなっていた。小学校時代、無口でおとなしかった彼女とは、ほとんど口をきいたことがなかったように思う。クラス会の翌日、会の幹事だったM子と私は、上野の喫茶店で会って今後の会の運営等について話し合った。ベランダを取り囲む花壇の燃えるようなサルビアの花を、私はいまだに忘れることができない。その頃、私の父が事業に失敗して行方不明になっていた事情と、M子の父が破産を苦に自殺してしまった事件が二人を急速に接近させていった。
 葉山にあったM子の家の別荘が人手に渡されることになった最後の夏、それは私の学生時代最後の夏休みでもあった。その頃、一色の海岸に私はよくM子と渚伝いに行って、時を過ごした。葉山御用邸の付近は、水着では歩けなかった時代のことである。話すことはあまりなかったと思う。ただ二人でいるだけでよかった。お互いの境遇には触れたくなかったのだ。小声で合唱することが多かった。M子は美しいアルトの持ち主だったのである。
 その後、M子はあるデパートのネクタイ売り場に勤めるようになり、私は社会人として巣立った。お互いの境遇を知り合っているM子と私は、M子の結婚の時が二人の別離の時であることが、わかり過ぎるほどわかっていた。
 M子との別れの日、私達は想い出の多い長者ヶ崎で落ち合った。晩秋の冷たい風の中で、初めて手を取り合ってお互いの幸せを誓い合ったが、涙が溢れた。しかし、別離の時刻(とき)は意外にあっさりと経過した。彼女の冷たく柔らかい指の感触と、二人で拾った桜貝の二片だけが私に残された。
 苦しさは、むしろ後から追いかけてきた。時の経過とともに、気の狂いそうな苦しさが私を襲った。別れがこんなにも苦痛なものであるならば、私はもう絶対に恋はすまいと思ったものだ。
 山好きの私が逃避の場を山に求めたのは当然の成り行きといえた。たった一人の長い山旅が始まった。霧の山稜に行き暮れたり、より困難な岩場を求めて彷徨したあの頃の単独行を思うと、遭難しなかったのがむしろ不思議に思われる。私は前途に何の希望も持てなかったのだ。ただ、家族のために生きねばならないという使命感が、私に幸いしたというべきかもしれない。
 長いこと私は黙っていた。
 時の経過の中で、私は小声でハミングしていた。シューベルトの「海辺にて」だった。いつの間にかそれにハミングで合わせていたSが、起き上がると言った。
「何を考えていたの? ぼけっとして」
 私はそれには答えず、「姉さん、もう潮が満ちてくる頃じゃない? もう帰ろうよ」と言った。
「いいさ、満ちてくればいい」とSは言い、間を措(お)いて、「私は泳いで帰るから」と言う。
「意地悪。着てる物どうするのさ」
「丸めて頭にくっつけるよ」
「水着も持ってないのに……。僕は姉さんのこと心配してやってるんだ。いいよ、僕も泳いで帰るから……」
「この辺の海は暗礁が多いんだよ。糸くらげもワンサといて、体中が腫れあがるよ」
「いやだなあ。じゃあ、どうするのさ」
「心配しなくてもいいよ。この崖を登って帰るから……」と、後ろの断崖を振り返る。
「また冗談を言う」
 私も断崖を見上げた。
「私の見つけたルートがあるのさ、心配するなよ。坊やだって岩登りくらいやるのだろう? 登れないんだったら、一人で先に帰りなよ」と、Sは素っ気ない。
 私は立ち上がって改めて周囲の岩壁を見回したが、攀じ登れそうな所はどこも見当たらなかった。
「登れないよ、これは……。ザイルもハーケンもなしにはね」
「そんなもの要らないよ。でも少し手強いぞ。ほら、あの壁を斜めに横切っているバンド(岩壁に帯のように絡んだ階段状の所)に取り付けば、壁をトラバース(横切る)して向こうのリッジ(狭い岩稜)に出られる。後は半分木登りだよ」
「バンドの真中が切れてるじゃないか、あそこはどうする? 跳び移るなんて僕はいやだよ。だいたい跳び越せるほど狭くはないよ」
「そう、あそこが一番悪いんだ。でもここからは見えないけど、あのチムニー(縦に入った岩の裂け目)には大きなチョックストーン(岩の裂け目の中に挟まっている岩塊)が一個あるんだ。それに乗っかって渡ればいい。チョックストーンがなくなっていなければだけどね」
「ウェー、いやだな。下は海だぜ」
「下を見なけりゃいいさ。いやなら早く帰りな」と、Sは言うのである。
 私は覚悟を決めた。女の登れる所である。私はまた砂の上にひっくり返った。
「ええ、登りゃあいいんでしょ。登りゃあ」
「そうそう。いい子だ、いい子だ。チョコレートやろうか」
 Sの出したチョコレートを口に放り込んで、私はゆっくり舌の上で溶かした。
 霧は音もなく海を渡ってくる。一面ミルク色の空間に、奇怪な岩礁の影が幻のように濃淡を浮かばせていた。ときどき鳴き声を残して、鴫(しぎ)が姿を現わしては消える。波はピチャピチャと砂と戯れているだけだった。
 こんな時を持つことを期待して、私は何年も前から待ち続けていたような気がしていた。
「さっきの歌、歌おうか」
 Sはシューベルトの「海辺にて」を、ハイネの原詩で歌いだした。私は黙ってその声が霧に溶けて、あたりにくぐもり響くのを聴いていた。
 岩壁も、砂も、ハマダイコンの花も、霧の包むすべてのものは濡れて重かった。
  

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2009年01月26日

島を去る日

 島を去る日、まだ陽の昇らない早朝、私は床から起き出した。四日間が瞬く間に過ぎて今日は五日目。いくら捨て猫の身分とはいえ、気がひけていた私である。「明後日には私も帰るから」というSに、「明日はちょうど船の便があるから」と帰京を宣言したのは昨日のことである。Sも止めなかった。
 泊まり賃など取ってもらえないのはわかっていた。お礼代わりに、花壇に秋の花でも植えて帰ろうと思いついたのだ。苗床にはちょうど移植時期を迎えた百日草、マリーゴールド、サルビア、鶏頭等の苗が、緑の頭を寄せ合っていた。
 私はそっと庭に下り立ち、物置から鍬を取り出して花壇を耕した。腐葉土を鋤きこんでから表土を整える。私は柄にもなく花を作ることが好きだったので、手際も悪くはなかった。苗を半分ほども移植し終わった頃、起き出してきたSの母上はそれを見ると目を輝かせた。
「植えてくれているのね。すまないわね。植えるのはともかく、女の私には耕すのが骨が折れて。ほんとうにありがとうね。このお花の咲く日が楽しみだわ。また秋になったら今度はお花を見に来てくださいね。是非ね」
 私の思いを遥かに越えた喜びように、私はふと東京の母の面影を見た。
「そうだ、早く帰ろう。おふくろは心配しているだろう」
 私は帰京の日を今日に決めたことを、ほんとうに良かったと思った。
 別れの時間の長いのは嫌いだというSとは、玄関で別れた。しかし私達の間では、十日後に東京で再会する約束ができていた。八重洲口に近いH苑という喫茶店(それは、その後のSとの山行の打ち合わせにいつも使われた店だったが)に、五時半という時間まで決められていた。
 Sの母上は、「ついでに用事を足すから、波止場までご一緒しましょう」と言って、私と一緒に家を出た。港への道々、彼女は自分が東京の山の手K町に生まれて育ったこと、ご主人を亡くした時、東京へ帰ろうと思ったが、すでに亡くなっていた両親のいない家には帰りづらく、島に留まってご主人の墓を守る生活に入ってしまったこと等を話してくれた。
「東京はなつかしいわ。それは、今の生活は平和だし、島の人も皆いい人達で親切にしてくれるのだけど、島では何といっても私は他国者(よそもの)。どうしても紙一枚馴染めないところがあって……東京に帰りたいわ。海を見ていると、ひとりでに涙が出てきてしまう時があるのよ。おかしいでしょ」
 私は何と答えてよいのかわからなかった。あの大きな家に穏やかに住まう人にも悩みがあったのだと思うと、生きて求める人間の哀しさに胸がふさがれる思いだった。
 わずかな貯金を生活の足し前にして、ただ子供達のたまさかの喜びにはともに笑い、その無軌道さには胸を痛めながら生きる以外、前途に期待する何物もなくなった私の母と、いずれが幸せなのだろうか。
 艀に乗ろうとする私に、Sの母上はお土産の紙包みを渡しながら言った。
「お母さんによろしくね。長いこと引き留めてすみませんでしたと、謝っていたと言ってね」
 その土産は、私が切符を買っている間に、彼女が港の市場で買い求めたものだった。
 遠ざかる艀の中から、桟橋に立ちつくすSの母上の小さな姿がずっと見えていた。「さようなら、お幸せに」
 私の目は潤んでいた。
 客船に移るとすぐ、私は上甲板に上った。最高点でも百メートルに満たないS島は台地状の平らな島で、わけもなく海に沈んでしまいそうに私の目には映った。
「さようなら」
 再び私は口には出さずに別れを告げた。
 しかし出帆の汽笛が鳴ったその時、一艘の白いヨットが岬を回って近づいてくるのに気がついた。Sは彼女らしい方法で、見送りに来てくれたのだった。旅客船はスピードを上げる。ダフネの甲板で手を振っているSの姿が見えた。私も思いっきり手を振ってそれに応えた。ダフネと私との距離は次第に開いていった。波間に揺れ、浮かぶその姿は、一羽の白鳥に似ていた。私は誰もいない上甲板の手摺にもたれて、遠ざかるその白鳥を追っていた。
 荒海を描くS、真昼の帆走、夕闇の湯浴み、霧の入江……。次々とその光景が脳裏をよぎる。
 私の網膜に、白鳥はもう点となっていた。

*「トベラの島」の続編にあたる「青春挽歌」も、引き続きお読みいただけたらと思います。
  

Posted by 松田まゆみ at 19:46Comments(0)トベラの島