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2009年02月28日

山頂へ

 午前三時三十分近く、小諸駅に下車。一行五人の静かな足音は、街路の中央部の眠るような電燈の下を行く。古風な造りの店屋に交じり、白ペンキと赤エナメルの洋品店が時代の一足飛びの変化を思わせ、眠い目にもなお印象深い。北国街道を右に折れれば、闇にサラサラ流れの音がする。民家の橙黄色にくすんだ障子窓の日本紙を透かして仄(ほの)かに日本的な匂いを嗅ぐ。蠶(かいこ)の匂いがする。
 道は街を出はずれ、その火山灰の粗面に夜目にも白く露を置いて、このあたりからすでに上るともなく上っている。何の祠か、一群の松の下に存すを過ぎれば、前面の薄墨の空にはじめて目的の浅間を仰ぐ。五人の顔が一様に星明りの中に凝立(ぎょうりつ)して、眠い目を見張る。良い道は轍(わだち)の跡に導かれて、松林の中に入ってゆく。松に交じる白樺の幹が白い。
 道端にこでまり、おかとらのおの花が浮いている。どうやら黎明(れいめい)の足音が聞こえるようだ。こんな情景に数年前、大菩薩峠で一度出合ったことがある。山麓小菅を夜発って、松明(たいまつ)の光で登山した時だ。夏季、大菩薩の尾根を埋めるこでまりの花が、薄闇にぽかりぽかりと浮いていたのは今でもはっきり思い出せる。しかしこでまりの花が水瓜(すいか)の匂いをもつことは、今度はじめて知った。露を含んだその花冠を唇にふれれば、水瓜の味はしないで、甘い露滴が舌を濡らせる。
 遠く近く、今年二度目のカッコ鳥の声を聞く。大菩薩というと途端に腐る一人の女性は、カッコ鳥の声がお好きとみえて、感にたえない風情である。
 一時間四十分を費やし、七尋岩の傍らを通り過ぎ、道端で朝の食事を摂る。うぐいすとカッコ鳥の軽い音楽を聞きながら食事をするのはちょっとしゃれている。僕の肩越しに背の高いおだまきの薄黄色い花が、梅干し弁当を覗き込んでいる。その枝に肩を触れたら、パラパラと真珠の露を弁当にふりかけた。僕の隣りでは蝿に好かれては困るらしい人が、両足を紙で包み、片手にボール紙、片手におむすびと悲愴な活躍を開始している。皆、食欲は旺盛である。
 僕らが出発する頃、朝日は松林の根元を金色に輝かせて真赤な顔を出した。寝不足の頭にもすがすがしい朝である。交互に歌を歌いながら爪先登りにどこまでも登っていく。歌なんてものは上手でも下手でもよい。ただ自らの感情が快く刺激され、喜びあふれて歌いだすメロディーは、音階を多少無視して楽しい。ことにそれが唐松の匂うともない香に混じって、朝の湿った空気をふるわせる時、たぶんひきがえるみたいな声でも美しいと感じるのだ(もっともひきがえるの声は聞いたことがないけれど)。
 清水の集落でおそろしく人見知りするワン公に吠えられた。道はこの先から蛇堀川を渡って対岸(左岸)に移る。この付近には落葉樹に濶葉樹を混じ、ただ緑の世界に飛び込んだ感が深い。人気(ひとけ)のない浅岳ホテルを過ぎると、道は再び蛇堀川の岸に下る。たいぶ細い流れとなった蛇堀川で顔を洗うこととした。三十秒も浸けているとむしろ苦痛を感じるような冷水に、やっと頭がはっきりした。
 地図を見ればだいたい一五五〇メートルの標高がある。清澄(せいちょう)な空気を通して朝の逆光が魚鱗のように木々の緑を反映させる。誰の顔も上気して美しい。その顔色に都会的な色は消えている。
 水筒に水を詰めて、いよいよ湯の平への最後の登り三百メートルにかかる。長坂と記されているが、あまり長くない。道は良く、前面に黒々と聳え立つキッパ山と黒斑山との鞍部、蛇堀川の水源目指してジグザグを繰り返している。登るにつれて唐松は新緑である。
 白樺は目立って多く、下草は熊笹に交じって花の落ちた君影草、みやまきんぽうげ、ぎぼうし、ばいけい草、しょうじょうばかま、きぬがさそう等である。ことに日光白根に多い白根あおいの紫は、登行に慰めを与える。およそ二百五十メートルも登り、そろそろ誰やらあごを出しそうになる頃、あやうくパイ缶に救われる。さすがに一八〇〇メートル近く、微風は肌に冷たい。小憩の後、パインアップルのエネルギーはすさまじく、もりもりと登る。
 わずかの登行で視界は豁然(かつぜん)と開けて、眼前に緑の絨毯(じゅうたん)を引き寄せて峨々(がが)と連なる黒斑(くろふ)の雄壮な岩肌を仰ぎ見た。もう湯の平である。
 皆、口元で消滅する感嘆詞を発する。前々日から張り切って不眠症の女性は「やっぱり来てよかったわ」と言う。それと同じ言葉を湯の平の木霊(こだま)はもう幾回も響き返したに相違ない。僕は湯の平らが文句なしに好きになる。
 高山植物の小道を足どりも軽やかにもどりつつ、さんさんとふりそそぐ初夏の斜光を満身に浴びる。僕らの左手は、アルペンロートに輝く岩壁がある。僕は何気なく富田砕花の詩「岳の日没」をつぶやいてみた。なんとも良い気持ちである。
 蛇堀川の源頭あたりに来ると、山は急に火山の匂いが濃くなる。硫気はかなり鼻をつき、白骨のような枯木が目につく。天狗の麦飯という火山岩を食う虫を一見におよび、のんびりと小屋へのゆるい勾配の道をたどる。
 午前九時半、「半ば仙人」になりかかったおじさんのいる小屋に着いた。腰を下ろして盛んなる食欲を満たす。「他人(ひと)のものは自分のもの主義」を発揮して、夏みかん等大部分を僕一人で平らげた。くすんだ山小屋の匂いのする渋茶を飲んで、同じくくすんだ窓から外を見る。今登ってきた谷から雲の昇ってくるのが美しい。雲の切れ間に緑が見える。岩壁の茶褐色が覗く。
 こうやって雲を見ていると、一昨年亡くしたロマンチックな二人の山友達を想う。そして今さらのように彼らがなつかしまれる。ひとつの思想は山で死んだ。もうひとつの思念は残念にも富士見高原の病床に失った。彼らの一人の夢は童話的である。緑のなだらかな傾斜、澄んだ青空、繭のような白い雲。傾斜の上は真夏の太陽に灼熱して突兀(とつこつ)と直立する岩壁。そんな情景に強い憧れを抱いていた彼だった。もう一人の彼は、おそらく山を愛することにおいて一番だったろう。彼はいかなる山も愛した。人気(ひとけ)なき幽林(ゆうりん)、緑の谷間、空と草だけの平原。しかも岩峰の相当な難場も熊のごとく黙々として征服する。彼と最後の山行でしみじみ話し合った甲武信岳の雲多き小屋の一夜は、忘れんとして忘れられない。あのいろりに燃えさかる白樺の火と桃色のしゃくなげの花びらとともに……。
 あの快活な顔がどうして結核菌にむしばまれるようになったのか。さわれ山小屋なんて罪な思い出を誘うものだ……。
 人の好い「セミ仙人」から草鞋(わらじ)を買い占めた挙句、浅間が爆発しても生命に別条ないようにと、都合のよい了見(りょうけん)でお護(まも)りをいただく。記念撮影の後、山頂への登行となる。
 軽井沢方面の山が見えるようになる頃、初めて浅間本山を右手に望み、道は火山性の磊々(らいらい)たる石ころ道となる。このあたり二一〇〇メートルくらいまでは植物がある。道のすぐ左手に七つ八つの地蔵が不規則に並んでいる。首がなかったり、胸の半分がなかったり、満足なものはひとつとしてない。お地蔵さんは愛嬌があるものだが、ここのそれはおかしいというよりはむしろ無惨である。奇怪な物語めいて、慄然(りつぜん)とはしないまでも人々を暗鬱にさせる。不可思議な人形である。
 この付近には一輪草、くろくも草、こけもも、君影草、舞鶴草、おんたで、みやまきんぽうげ、いわかがみ、その他五、六種の蘚苔類が群生している。二二〇〇メートルを過ぎる頃から植物は影をひそめ、礫々たる火山岩の登り難い斜面となる。踏み跡はほとんど消え、積石を頼りに登る。こうなると案内されるMさんが頼りである。
 草津側から霧が昇ってきて、佐久側へ越してゆく。その中を足元を見つめ、一歩一歩を確実な高みへ置きかえてゆく。登山という行動の最大の魅力は、少なくとも僕においては登行にある。一歩という小さな努力の堆積が、三〇〇〇メートルの高さに身を保つ。振り返ってみて、つくづくこの小さな人間の力の偉大さに感嘆するのだ。さればこそ山頂で「どうだ汽車の奴、自動車の奴、ここまでは来られめえ!」と威張りたくもなるのだ。
 先年北アルプスの八峰で二人の山案内人の後について登った時のことだ。あの八峰の思い出してもぞっとする峨々たる山骨上を、急がずあせらずゆうゆうとしてしかも止まることのないひとつのリズムをもって、黙々として登っていく彼らの確実そのものの歩みに、非常に惹きつけられたことがある。彼らの大きなリュックサックと黒い肩はほとんど危険ということを知らないもののように、僕の目の前に小さく揺れている。僕は彼らの歩みをベートーベンの第五交響曲と結びつけて考えたものである。それはすでに人間ではなくて、努力のかたまりである。努力ではなくて、たくましい運命である。かの重厚な音楽そのものではないだろうか? 僕は恐怖するに心に鞭打って、夢中に彼らの巨歩に追随したことを覚えている。
 ともあれ既往の山々からある親しみをもって幾度も眺めた浅間の山頂は、もう目の前にある。
 息づまる噴煙、燃えたぎる地獄。僕らは山頂に氷のように凝然(ぎょうぜん)と佇立(ちょりつ)した。
  
タグ :浅間山


Posted by 松田まゆみ at 12:48Comments(0)浅間山行

2009年03月01日

山頂より

 山頂付近の火山岩にてんとう虫の多いのは不思議な気がする。火山の爆発も知らないで、心臓の強い虫だなと思う。しかし昆虫なんて案外感がよいから、爆発が未然にわかって飛び去るかもしれない。それならば僕らも安心して可なりである。けれどもこいつら何を食って生きているのかと、よけいな心配をしながら一ダースばかり採集してポケットに入れた。即席マスコットである。てんとう虫が逃げ出したら僕らも一目散、雲を霞の決心である。
 知らぬが仏でここまで来たけれど、ものすごい噴火口に口数も少なく、ただただおもむろに感心しあって早々に山を下る。そのくせ皆あまり怖そうな顔つきもしていない。Mさんは東京の人間の無神経さにいささかあきれておられたようだ。しかし皆内心びくついていて、山頂の展望なんて空と雲と煙だけしが思い出せない。
 残雪の痕跡を杖で突いて嬉しがっている人がいる。本岳と火口壁の鞍部に腰を下ろし、雄大な景観にかわるがわる感嘆する。ここまで来ればもうお護りで鼻をかんでもよいなんて言う人もある。と言うそばから小さな地震を感じる。皆一瞬お喋りをやめて顔を見合わせる。お護りさまさまである。
 ここで時間の都合上、Sさんとお別れした。ここから僕らは山裾に見える鬼押出の溶岩塊めがけて、道のない山腹の急斜面を下るのである。
 見はるかす眼下一千メートルの彼方、軽井沢の緑の高原を隔て、鼻曲(はなまがり)山、浅間隠山、角落(つのおとし)山、榛名(はるな)山、遠く草津白根は雲に隠れて煙っている。まさに上州の山を見下ろしている。Mさんの威張るのもむべなるかなである。この地球から蒼穹(そうきゅう)めがけて盛り上がった雄大至極な斜面を、裾野めがけてぶっとばす。これだから山はやめられない。下界の人間よザマーミロである。都会の蛆虫(うじむし)どもよ、その存在こそ疑われてあれ。
 空は青く、陽は強い。さえぎる一物もない急斜面を、歌の翼に乗って下る。
 皆、山窩(さんか)の申し子みたいにいとも強引に落下する。しかし何といっても下りとなると重量のある人にはかなわない。加速度と重量との関係は、物理学を信用しないではいられなくなる。僕は不利を自覚した!
 二時間の後、僕らは山麓の砂礫地帯を歩いていた。恐ろしい火山弾の爆撃跡、無惨な崩壊地、地表の裂口、雪崩の痕跡等々の不安定なこの土地の表情に接し、しかも灼ける火山にしがみついている背の低い植物の群落とやせこけた蘚苔類の生存力を思う時、僕らは自然の破壊力と創造力の偉大さをまざまざと胸底に焼きつけられる。人間とその生活に一脈通じるものもあるのを感じ、黙然と歩き続けた。
 山裾に下りつき、溶岩下の沮洳(そじょ)地から返り見れば、ゆうゆうと白煙を中天に吐き続ける浅間の何と雄毅(ゆうき)なる姿か! 無惨に立ち枯れた唐松の後ろに大空めがけて駆け上がるスカイラインの迫力の素晴らしさよ! それは男性の燃えるような意力のシンボルと形容しようか。僕はかくまで印象的な浅間を、まだ見たことがなかった。もちろんこれからもおそらく見られないだろう。
 軽井沢から鹿沢へ通ずる自動車道路は、夏の太陽に灼けていた。張り切ったKさんはMさんと溶岩樹形を見に飛び歩く。Yさんは軽井沢行のバスを恨めしそうに見送っている。僕はバスの女車掌の溶岩樹形の説明らしい声をとぎれとぎれに背中に聞いて、赤褐色に灼けて熱い溶岩に下腹を押し当てて温めた。汗が体へしみ出て気持ちがいい。あたりは栄養不良の植物がほんの少し地にへばりついているだけで、荒涼たる静寂の姿だ。僕は口中に歌を口ずさんだ。声はまわりの熱い空気を振動させて、高原に広がってゆく。空虚だ! 僕の脳髄はしびれるように麻痺しながら何ともいえない陶酔感に浸る。一時間もこうしていたら化石になりそうだ。
 しばらくの後、僕らは鬼押出までの道を汗だらけになって歩かねばならなかった。しかし同じ暑さでも東京のように湿気が多くないからわりあいに気持ちがいい。
 登山仕度なしで来られたMさんの足袋と靴下と草鞋を履いた、ラクダのそれのような珍妙な足つきはちょっと嬉しい光景である。
 鬼押出の岩窟ホテルで全身にしみとおるようなシトロンを飲んだ。どうも人間様は感情の動物であるらしい。時と場合でこのシトロンは旨いともまずいとも言う。僕がシトロン屋になったら「このシトロン、疲れたとき以外飲むべからず」と記してやろう。
 高原は午後四時の陽が、蜿々(えんえん)と浅間山頂に続く溶岩塊に乱反射してまぶしい。窓から下を見やると、テラスに並んだ白樺の椅子で郵便屋さんが居眠りをしている。無心な赤子のような顔の半ばをビーチパラソルの日陰が覆っている。のんびりしたものだ。白い陽を反射している白樺のメニューは日本字と英字が併用され、エキゾチックなアトモスフェアーを与える。甘酸っぱい桜桃を静かに噛みしめると、静寂がばかに身にしみる。ときおりホテルのウェートレス達の笑い声が静けさをやぶる。山行も終わりに近づいた。
 高原の林を縫って浅間の方向に遠雷を聞きつつ、北軽井沢の駅に急ぐ。風は湿気を帯びて涼しく、夕立の近いことを思わせる。養狐園、美しい流れ、白樺とまがう別荘の白い壁、鱒の養魚池。そこを僕らは少し語らい、笑いさざめき、ちょっと黙し、小声に歌い、かつ喜びあふれて歩くのだ。僕はシューベルトの「鱒」を口笛で吹いてみて、初めてこの曲の美しさを知った。シューベルトもこんな環境でこの曲を作ったのだろう。
 駅の手前でとうとう夕立に追いつかれた。油紙をかぶって駅へ飛び込む。空に雲の動きが速い。雨はこの高原の閑駅を取り囲んで、銀のデシンのようにきらびやかだ。駅のベンチに腰を下ろし、身はこころよい疲労に酔い、しみじみと雨を見る。土地の人らしい二人が小声でぼそぼそと話をしている。駄句を作る。

  問い語り 駅をとりまく 夏の雨

 さて、待てど暮らせど電車は来ない。停電らしい。何しろ次の列車に乗り遅れると、東京着は明朝になるのだ。夏の雨称賛どころではなく、やきもきしはじめる。Kさんは二度ばかり駅長に談判に行く。隣りにいたやはり被害者の青年二人は「心臓が強いなあ」と小声で感嘆し合い、小やみになった空を見ている。のんきなものだ。
 それでも二十数分遅延して、スポーツランドのそれにそっくりな電車が来た。車中、夕立はまた浩然と降りはじめた。
 背の高い車掌は、強引に次の列車に接続させるつもりらしい。車の後部で形相すさまじくブレーキをあやつる。Mさんに、先年この鉄道は脱線してだいぶ死者を出したのだとおどかされる。Kさんの顔にはそろそろ後悔の色が現れる。トロッコのような電車は精一杯のスピードであえぎ駆けるのだが、僕らはまだ若く生命が惜しいのである。それにキーキーときしむブレーキの音はどうだ。レールの減り方だって国策に沿わないじゃないかと言いたくなる。
 車窓には霧にけむる緑の起伏が後ろに走る。霧の薄れ目に濃緑の山が顔を出し、またすぐ隠れる。滝が現れたかと思うとすぐ音ばかりが耳に残る。電車といい景色といいまた車中の人物といい、皆童話的だ。ユーモラスな離れ山を過ぎると、頭を雲に隠して模糊たる裾野をひく浅間山をわずかにそれと指摘し得た。雄大だ。僕はいつまでも黙してじっと見つめていた。僕らはあの山を越えてきたのだ。それも今日。愉快であった今日の一日に対し神に感謝を捧げる以外、今は何を語り得よう。
 電車はスピードをゆるめた。
 さらば今日の日、さらば思い出の山よ。

(1939年に書かれた山行記)
  

Posted by 松田まゆみ at 10:15Comments(0)浅間山行