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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年03月12日

頬白に寄せて


本州の中央高地
フォッサマグナの湖の辺りに
一羽の頬白の雛が生まれた

桃の花咲く田園に
エサを求めて飛び廻る父鳥は
ふと 去る年の秋を思い出していた

一面狐色の湿原の片隅に
ひと群れの桃の花を見て
わが目を疑ったのである

そのピンクの温かさに誘われ
彼はその花に飛んだ

だが それは花ではなかった
紅さして開裂する
木の実だった

人は「十一月の花」と言う
「檀」父の頬白は
その木の名を娘に与えた

西に 東に
親鳥は 日々を炊(かし)ぎ
雛は スクスク育った

南に 北に
若鳥は思うさま
青春を羽ばたき
ユルユルと 時は流れた

「或る日」
娘は北の国に 恋を得た
母鳥の胸は痛んだ
「何故 そんな遠くへ
行ってしまうの」

だが母鳥は知っていた
娘をひきとめる術のないことを
父鳥は独り呟いた
「私達の務めは
もう終わったのだ……」と

その日から
時は急流となった
一九八〇年三月十五日
若鳥の旅立ちの日は来た

慶びの日に
別れの涙は流すまい

親鳥達は歌った

舞い上がれ 若鳥達よ
玲瓏(れいろう)の 大空切って

幸いは君達の心に
住まうだろう

北の雪に咲けよ
「マユミ」

何時の日も
温かく健やかにあれ
  

Posted by 松田まゆみ at 14:58Comments(0)

2010年03月13日


氷河湖をまたたかせ
氷塔(セラック)をかげろわせて
悠々と 影が登る
「おーい 雲
 ちょっと 僕達と
 休んでいかないか」
君達はいいな
懸垂氷河も ヒドンクレヴァスも
気にしないんだから
でも見てくれ
ここから 山稜はもう
一枚の純白なサテンだ

灰色のある日
絶え間なく 稜線を
越える雲達と一緒に
僕も圏谷(カール)を下った
音の無いエロイカの
第三楽章にとり囲まれて
なぜか 僕に 遠い日の
記憶がよみがえった
「お月様(じちゃま) かくれんぼ
 おふとん(おっとん)かぶって ネンネした」
幼かったベッドのわが子の
独り言だった

谷をうずめて
雲達は未だ眠っている
群羊の青い眠りだ
やがて 地平の一点が
ゆらめき 炎え上がる
そして七彩(なないろ)の絢爛(けんらん)が
君達をゆり起こすだろう
旅立ちの朝だ
雲よ
今日も僕達と
在るがままを喜び
在るがままに慟哭(どうこく)もしよう

アルプの紺青に
ポッカリ浮かんだ二つの雲
「あの雲 一つになるんだろうか」
アルペン デージーの花をかざして
妻が言った
「さあね……なるわよきっと」
雲は並んでユルユルと遠去かる
行手は輝く白い峰だ
「私達 二人っきりになるわね」
僕はボンヤリ
番(つがい)の薄羽白蝶(アポローン)の
交錯する曲線を追っていた
  

Posted by 松田まゆみ at 11:48Comments(0)

2010年03月22日

第一幕

遠くで水の流れる音。上高地。針葉樹林の中。苔が厚い。足音はないが、ときたま枯枝を踏みしだく音。

路子 静かですわね・・・・・・ホテルのすぐ裏とは思えないわ。(ため息とともに)・・・・・・あーあ・・・・・・冷たい空気! おいしいわ・・・・・・茸の匂いがする。いえ、樹脂の匂いね。ドライジンの匂い・・・・・・苔が厚いわ・・・・・・いつかこんな所を歩いたことがあったわ・・・・・・。

  ・・・・・・。

路子 黙ってらっしゃるのね。なぜ? 私にばかり喋らせて・・・・・・。

  いえ、ごめんなさい・・・・・・考え事をしていたので・・・・・・十五年も前のことをです・・・・・・。

路子 私も昨夜は眠れなかったわ。

音楽(静かに、回想的に、台詞に交じって)

  静かでしょう・・・・・・雪の降る前は、いつもこうなんです・・・・・・葉が落ちて、茸が腐って、その上に雪が降りつむまで・・・・・・。

路子 道がないのね。どこまでいらっしゃるの? でも・・・・・・帰りたくはないのよ・・・・・・。

  二十分ばかり登ってもいいでしょう。あなたに見せたい所がある・・・・・・。

路子 いいわ・・・・・・何年か待っていたの、こんな森の中歩く時を・・・・・・。

バリバリと枯枝を踏み折る音。
音楽(少々感傷的に、静かに盛り上がり止む)
ガレを登ってくる二人の鋲靴の音が次第に近づき、かすかな息切れ。


  森を抜けましたね。このガレの奥に小さい岩壁があるでしょう。あの上ですよ。

岩屑を踏む足音。軽い息切れとともに次第に遠ざかり、また次第に近づきハタと止まる。

  ここからちょっとした登り、あの斜めのバンドを登って上のテラスに出るのです。気をつけて

路子 ええいいわ。先に登って・・・・・・。

岩を攀じる鋲靴の音。かすかな息づかい。岩屑の落ちる音が入り交じる。

  ちょっとそこで待ってください。この上が少しオーバーハングしています。私が先に登りますから。

ザラザラと岩屑の落ちる音。

  さあ、登っていらっしゃい。気をつけて・・・・・・もうちょっと左にクラックがある。そこに足をかけて手を伸ばしてください。

  しっかり掴まって・・・・・・。

音楽(静かに始まり、力強く盛り上がる)
二人の荒い息づかいと、登り終わった気配。


  ここなんです・・・・・・私の城・・・・・・。

路子 ・・・・・・お城?

  シャトウ スギ。私一人の誰も知らない山塞・・・・・・ごらんなさい、穂高を・・・・・・。

路子 まあ! すてき! 奥穂、西穂、ロバの耳も俎岩(まないたいわ)も見えるわ・・・・・・。

  そう、コブ尾根も見えますね・・・・・・。

路子 ・・・・・・杉さん・・・・・・わかったわ・・・・・・私に思い出させようとなさるのね。

  いいえ。ずっと前から、たった一度でいい、あなたとここへ来たかった・・・・・・それだけなんです。

路子 いいの、古い傷跡、私は忘れてはいないわ。

  そんな、そんなつもりではないんです・・・・・・十五年・・・・・・今では私の心も雪に覆われて凍っていますよ。

路子 私の心も・・・・・・っておっしゃるのね。意地が悪いわ。

  まあ腰かけませんか、そんなこと言わないで・・・・・・その岩の窪みは私の城の玉座です。雨が降っても大丈夫。

路子 ほんとうね。岩の腰かけに岩の廂(ひさし)・・・・・・ここはあなたが見つけたの?

  ええ、焚火の跡があるでしょう。以前はここへよく来たんです。腰かけましょう。

音楽(静かに、悲劇的に、台詞に交じる)

路子 ごめんなさい。私、少し興奮してるのね……変ね私。

  いいえ、私が悪かった。あなたの気持ちも考えずにこんな所へ連れてきてしまって。

路子 いいわ。私も神様が与えてくださったこの時間を、素直に享受するわ・・・・・・でも、あの頃のこと思い出すなとおっしゃっても無理よ。思い出したいの・・・・・・いいでしょ・・・・・・。

  梓川がきらきら光っているでしょう。私はここが大好きなんですよ・・・・・・(煙草を取り出す)・・・・・・煙草いかが?

路子 いただくわ。近ごろ私喫(す)いますの・・・・・・変わったでしょう・・・・・・。

マッチを擦る音。

路子 私が初めて煙草を喫った時のこと、覚えていらっしゃる?

  忘れっこない。急に「私にも喫わせて」なんて言って、私をまごつかせる。昨日のことみたいに思い出せる・・・・・・

音楽(力強く、いくぶん悲劇を暗示して、しかし憂鬱ではなく)
  

Posted by 松田まゆみ at 11:43Comments(0)晩照

2010年03月25日

第二幕

コブ尾根の一部。岩壁上のテラス。霧の飛ぶ音。霧に閉じ込められて休んでいる三人のパーティー。その中の一人、秋本の歌うヨーデルの歌声、霧の中に響く。
音楽(ロンサムヨーデラーの歌。歌詞略。伴奏なし。なるべく英語で)
歌声、杉の声に中断される。


  おい、ガスが薄れはじめるぞっ。

秋本 そうさ、俺が歌えば晴れるんだ。

  何言ってやがる。俺の日頃の行いがいいからさ。

路子 ストップ。誰かしら、今朝私をマスコット代わりに連れてってやるって言った人・・・・・・マスコットにテルモスの紅茶飲ましてごらんなさい。たちまち晴れるわよ。

秋本 おい杉、このマスコットまるで人間みたいにお茶ばっかり飲むぜ。薄気味悪いから捨てて逃げようか・・・・・・。

  そうだな。バチが当たらないようにテルモスを一本お供えしてな。ハハハ・・・・・・。

路子 いやーん・・・・・・いじわる!

音楽(明るい日差しを見せて)

秋本 梓川が見えてくるぞ・・・・・・おいおいこのテラス・・・・・・うわーっ、すごく下が削げてるぞ、オダブツオダブツ。

路子 ほんとにすごいわね。ガスで見えなかったけど・・・・・・。

  さあ、行こう。縦走路までもうすぐだ。

秋本 杉、少しルートからはずれているな・・・・・・。

  うん。尾根は向こうだ。

秋本 そうだな。あの上の壁をトラバースするか・・・・・・。

  ちょっとカブってるな・・・・・・。

秋本 あのリスが利用できる。俺がトップをやる。路ちゃん、いいだろ・・・・・・。

路子 私にもたまにはやらせてよ、トップ。

  だめだめ、尾根に出たら遊ばせてやるよ。

秋本 ツウピッチ……路ちゃんにはその上のスタンスでビレイしてもらうか・・・・・・じゃあ行くぞっ。

路子 いいわ、セルフビレイするわ。

岩を攀じる鋲靴の音。ザイルを繰り出す気配。しばし・・・・・・突然落石の音。二つ三つ、つられてガラガラと落石の音。
音楽(烈しく、悲劇を暗示して)


路子 危ないっ、秋本さん!

秋本 ああっ!

しばらく落石の音続き、遠ざかって消える。後に静けさが残る。
音楽(低音、不気味に)


路子 杉さん、助けて、秋本さんがっ。秋、秋本さーん!

  路ちゃん、墜ちたのか、秋本っ!

路子 墜ちたの。いえ、止まってるわ。動かない。私の身体も・・・・・・動けない。

 今行く、頑張ってくれ。

忙しく岩を登る鋲靴の音、息切れ。

  どうしたっ、路ちゃん何ともないな・・・・・・秋本ーっ、秋本ーっ、返事しろ。

秋本 (下方から小さく苦しそうに)大丈夫だ・・・・・・だが足が動かない。

  そうか、今行く。じっとしてろっ。

音楽(静かに悲痛に続き、急に烈しく盛り上がる。風の音に交じり、風の音だけに変わる)
岩穴の中。外で風の音が烈しい。


秋本 (小声、あたりをはばかって)・・・・・・杉、起きてるか?

  起きてる。何だ? ・・・・・・痛むのか?

秋本 しびれている。あまり痛くはない。杉・・・・・・俺は死なないらしいな・・・・・・おまえのおかげだよ。

  馬鹿! よけいな心配するな。しかしいい所に岩穴があったな。さっきはさすがの俺も音をあげるところだったぜ。

秋本 うん、よかった。・・・・・・杉、路ちゃん起きてるか?

  寝てる、安心しろ。

秋本 杉、俺の足は挫(くじ)けた・・・・・・もう山は駄目だな。

  そんなことがあるか。すぐ治るさ、そんな野蛮な足・・・・・・。

秋本 いや、俺にはわかる。杉、路ちゃんを頼みたい・・・・・・。

  何のことだ。ちっとも心配はない。俺が明るくなったら仲間を呼んできてやる。

秋本 そうじゃない。おまえ、路ちゃんと結婚してくれないか?

  冗談じゃないぜ、秋本。おまえら親が許した仲なんだろう・・・・・・。

秋本 内々はな。だが俺は落伍した。こんな足じゃ路ちゃんが可哀そうだ。おまえは路ちゃん嫌いじゃないんだろう。おまえなら路ちゃんを幸福にできる。ほかの奴にはやりたくないんだ。路ちゃんもおまえが好きなんだ。

  弱気になるな、馬鹿。そんなこと言って後悔するなよ。俺だって路ちゃん好きだけど・・・・・・おまえからとる気はないよ。俺は赤紙を待っている。戦争でどうなるか・・・・・・たぶん死ぬんだ。俺の方こそ、路ちゃんをおまえに頼みたい・・・・・・幸福になれよ。

秋本 そうか・・・・・・俺はもう戦場にも行けないのか!

音楽(悲痛に、心の中に忍び込むように)

秋本 杉、路ちゃん少し変だ。みてやってくれ・・・・・・。

  悪寒がするらしいぞ。体ががたがた震えている。

秋本 抱いてやってくれ。温めなければ風邪をひく。

  秋本、そいつはおまえの役だ。

秋本 馬鹿。こんな身体で何ができる。頼む、そんな場合じゃない。

  いいのか、秋本・・・・・・。

音楽(悲劇的に盛り上がって止む)

  私は路子を一晩中抱いていた。赤ん坊のように。路子の悪寒は熱が出るとともに止まったが、頬は真赤に火照り、唇は乾いていた。私は何度か彼女の額に私の額を押し当て、冷やした。自責にかられながらも、彼女の身体を強く抱きしめた。明け方、彼女の熱はほとんど引いていた。ほっとして私は煙草に火をつけた。路子は私を見て、突然「私にも喫(す)わせて」と言った。路子は私の煙草を喫った。

音楽(懐古の情感をたたえて静かに)  

Posted by 松田まゆみ at 13:56Comments(0)晩照

2010年03月26日

第三幕

戸外で樹林を揺する風の音。杉の経営する山小屋の一室。五年後。

路子 今日のお客様、とうとう私一人ね。

  ええ、もう来ないでしょう。遅いから。

路子 急に私が来てびっくりなさった?

  驚きました。お一人だったのでよけい・・・・・・。

路子 コーヒー入ったわ。進駐軍のよ・・・・・・。

  いい匂いだ、久しぶりに。

路子 いつ帰ってらしたの? 戦地から・・・・・・教えてくださらなかったのね・・・・・・。

  すみません。去年の夏です。帰ってから東京で勤めたのですが、山男は結局都会には住めないらしい。ちょうど土地が借りられたので、都落ちしました。

路子 うそっ。私から逃げるのね。それとも秋本さんから?

  ・・・・・・。

路子 ずいぶん探したわ。

  よくわかりましたね。

路子 古風に言えば「風の便りに」ってとこかしら・・・・・・いいわそんなことどうでも・・・・・・ねえ、明日奥又白のお池に連れてってくださらない。今頃、ナナカマドの紅葉が奇麗でしょうね。

  ・・・・・・でも路子さん、結婚なさったのでしょう?

路子 誰と? 結婚なんかしていないわ。

  どうして・・・・・・どうしてなさらないんです。

路子 「秋本さんと」っておっしゃりたいのでしょ・・・・・・私が結婚しないの、ご存知なくせに・・・・・・。

  秋本はどうしてます?

路子 あなたを待っているわ。変わったわ、あの人。山へ行けなくなってから・・・・・・。

  僕は戦場で行方不明になった男なのに。秋本は私が帰ったこと知っていますか?

路子 知らないわ。知っていれば探さないわ。

  僕は都会生活の落伍者。こんな山小屋の主人(あるじ)で一生終わる人間です。

路子 それ、どういう意味?

  秋本は少壮実業家。あなたはなぜ彼と結婚しないのですか? あなたは都会の人だ。

路子 あの人はあなたの生死を確かめたいのよ・・・・・・待ってるのよ。

  馬鹿な奴だ。

路子 同情されて結婚したくないのよ。「あなたは杉と結婚すべきだ」なんて言うの。

  あなたは秋本好きなんでしょう?

路子 嫌いじゃないわ・・・・・・。

  ではなぜ?

路子 私にそれを言わせるの?

窓外に梢を渡る風の音。
音楽(次第に迫る感情の高まりを暗示して


  路子さん、私を苦しめないで・・・・・・秋本を幸せにしてやってください。

路子 私、待ってましたの。あなたが必ずお帰りになると信じて・・・・・・コブ尾根の岩穴の中でのお二人の話、私みんな聞いていたのよ。

  秋本と結婚してやってください。あいつはいい奴だ・・・・・・可哀そうだ。

路子 男は勝手だわ。私には選ぶ権利がないの? 私の意志は無視されるの?

  路子さん! (感情迫り)

路子 会いたかったの。私はあなたが好き。ずっと前から・・・・・・。

  路子さん!

路子 あなたが秋本さんとどうしても結婚しろと言うならするわ。あなたのために・・・・・・。でも路子はどうなるか! 路子は、路子は・・・・・・。

路子、杉にとりすがって烈しく泣く。

  路子・・・・・・ばかばかばか・・・・・・。

路子 抱いて・・・・・・もっとしっかり抱いて、あの夜のように。路子、赤ちゃんになるわ。今夜一晩中抱いていて・・・・・・。

  いけない。路子、いけない・・・・・・。

路子 いいの・・・・・・これっきりでいいの。後悔はしないわ。秋本さんのお嫁さんになるから、だから許して・・・・・・。

音楽(烈しく情熱的に盛り上がり消える)
  

Posted by 松田まゆみ at 14:26Comments(0)晩照

2010年03月28日

第四幕

風が落葉を吹き散らしている。岩の上を枯葉が駆け去る音。

  寒くなった。火を燃やしましょう。

枯枝を折る音。マッチを擦る音。やがてパチパチと火が燃えつく音。台詞にだぶって。

路子 相変わらず焚火は上手ね。昔から雪の中でも雨の中でも焚火なさってたわ。

  風呂焚きもね。私の山小屋がこんなに大きくなったのもそのおかげかもしれませんね。

路子 ・・・・・・。

  しかし、やっぱり昔の山小屋がなつかしい。山好きな人達ばかりが集まってきてくれた頃の方がよかった。今でももっと山奥へ小さな小屋でも建て、引っ込もうかとときどき思います。しかし、もう情熱が湧かない。年齢のせいでしょうか・・・・・・。

路子 そんな・・・・・・まだお若いわ。小屋を造って私にやらせてくださらない? 私じゃ駄目?

  ご冗談を。あなたには無理だ。

路子 そうかしら? それにしても十五年・・・・・・あなたとお別れしてから十年になるのね。夢のように過ぎてしまったわ。いろいろなことがあったけど、結局何もなかったよう。

  何もなかった! ほんとうに何もなかった。あの頃私は毎日のようにここへ来た。時には半日以上もあなたのことを考えて時を過ごしました。やがて私はあなたの幻影を追うことに疲れ切った。あなたの幻影から逃れるために、山小屋を大きくする仕事に熱中しました。ホテルは残ったけど、私の生活には何の内容もなかった。それは自分から求めた生活でしたが・・・・・・。

路子 言わないで・・・・・・わかるわ。

  あなたには秋本がある。

路子 違うわ! あの時なぜ私を掴まえてくださらなかったの?

  あなたは秋本と結婚して不幸でしたか? そんなことはないはずだ・・・・・・。

路子 世間並みに・・・・・・幸福でしたと申し上げるわ。主人は死にましたの、この春。

  えっ! どうして?

路子 自動車事故で・・・・・・。

  そうでしたか・・・・・・遅かった(つぶやくように)

路子 ええ。

焚火の音、急にパチパチと大きくなり台詞に交じる。
音楽(懐古的に)


路子 杉さん、結婚なさったの?

  いいえ、独りです。・・・・・・でも約束しました。一週間ほど前、若い娘さんと。

路子 ・・・・・・わかったわ。さっきホールでお見かけした方ね、明るい方。

  しかし、どうにも自信がない。歳が違いすぎるし・・・・・・今では早まったと思っています。

路子 ほほほ・・・・・・でもあの方、あなたを愛しているわ。

  私と十五も歳が違う。信じがたい。

路子 わかるの・・・・・・女の子には。

  まだ子供なんです。コバイケイソウの萌え出る若葉をじっと見つめていて「こんなふうに美しく抱き合えたら素敵だわ! 人間ではとても駄目ね」なんて言って目を輝かせる。

路子 まあ・・・・・・。

  あの娘(こ)を幸福にできる男は、私以外の男です。結婚しない方がいい・・・・・・早く気がついてよかった。

路子 いけないわ、そんな考え。

音楽(寂しげに、底に情感をたたえて)

  私は長い間あなたを待っていた。

路子 ・・・・・・。

  路子さん、今からでも遅くはない。

路子 あなたは結婚の約束をなさったのでしょう。

  路子さん、いけないのですか・・・・・・生涯に一度の今日を・・・・・・。

路子 言わないで! 私は知らない。来るんじゃなかった。来るんじゃなかったわ。

  路子さん、もう機会は来ない・・・・・・逃していいのですか。僕はいやだ。僕は。

路子 杉さん。いけないわ。

  路子さん!

路子 いけない、杉さん。放して、放して・・・・・・。

  もう放さない。待っていたのだ。なぜ待っていたのだ! あなたは知らないのだ。

路子の嗚咽次第に高まり、烈しくすすり上げて泣く。泣き声、台詞に交じる。

路子 これでいいの。私はこれでいいの・・・・・・もう放して。

  駄目だ、放しはしない。一生放すものか。

路子 (烈しくむせび泣きながら)杉さん、許して。あなたはあの娘さんまで私のように悲しい思いをさせる気なの? 私一人でたくさん。あんまりわがままよ、あんまりわがままよ。約束を破るなんて卑怯よ・・・・・・。

  路子さん、路子さん! あなたは!

路子 今度は、今度は私が逃げる番なの。

  路子、路子!

音楽(静かに悲しく、諦めを暗示して次第に強くなり消える)
むせび泣き、音楽に交じる。


路子 私には茜(あかね)という娘が一人いるの。私の帰るの待ってるわ。

  ・・・・・・。

路子 私達はもう歳をとりすぎたのよ。

  うん。

路子 あの方と結婚してあげて・・・・・・。

  ・・・・・・うん・・・・・・。

路子 私は幸福だったわ。これからも・・・・・・。

  ・・・・・・。

路子 あら、夕焼け! 穂高が燃えているわ!

  ・・・・・・。

路子 ほら、奇麗、奇麗でしょ。

  うん・・・・・・奇麗だ。

路子 岩が燃えてるわ、紅葉の上で。

  あなたも、あなたの頬もピンク色だ。

路子 ふふん・・・・・・私、まだ奇麗? ほほほ・・・・・・。

  路子さん奇麗だ、とても奇麗だ。

路子 杉さん、穂高の色がどんどん変わっていく。赤があんなに暗くなったわ。アーベント、ロート! 誰かが言ったわね・・・・・・祈りの美しさだって・・・・・・。

(音楽はなるべくモーツァルトの交響曲第四十番ト短調の全曲中よりピックアップ)
  

Posted by 松田まゆみ at 11:58Comments(0)晩照

2010年03月31日

出版に寄せて(編者あとがき)

 六十余年の歳月は、石畳の道をアスファルトに変え、船大工の槌の音を車の騒音に変えた。かつての静かな漁村はマリンスポーツと釣りの島に化してはいたが、昨年の晩夏に訪れた式根島はおもいのほか静寂で、海水浴客の姿もまばらだった。市街地には「トベラの島」の頃の面影を望むべくもないが、島を覆う照葉樹林のなかに一歩踏み込めば、そこには悠久の自然が息づいている。

 森を縫う小道はジョロウグモの網にふさがれ、人通りの少ないことを物語っている。そこここにトベラやツバキが濃緑色の葉を広げ、このうっそうと茂る照葉樹林は太古から永遠に生き続けてきたかのようにさえ思える。海岸の岩壁にへばりついている植物も、岩を渡りさわやかな鳴き声を響かせるイソヒヨドリも、島を囲む岩礁海岸も、小さな砂浜も、父が歩いた頃と何が変わっているというのだろうか。この道を父も歩いたに違いない。岩礁に腰を下ろし、しぶきをあげて飛び散る波を見ていると六十余年前に、タイムスリップしていく錯覚にとらわれる。若き日の父がこの島で過ごした数日のことを記した「トベラの島」が彷彿とされるのである。

*   *   *


 父が逝って今年で八年になる。遺品の中から出てきた幾冊かの古びたノートには、随筆や山行記録、数々の詩や創作が綴られていた。それは過去の思い出を閉じ込めたものでありながら、しかし自分以外の人に語りかけているものでもあった。

 少年時代の初めてのスキーの思い出が書かれた「ボン スキー」にはじまり、ヨーロッパアルプスへの山旅の随想に終わる十七篇の随筆は、山とともに生きた父の山行の歴史の片鱗であり、山と友への想いの込められた作品である。

 なかでも「トベラの島」とそれにつづく「青春挽歌」は、それまで家族の目にふれることもなくしまい込まれていたもので、推敲を重ね、読まれることを意識した作品として仕上げられている。「山旗雲」「アルプスの三つの花」「星糞峠」は、創文社から刊行され一九八三年に終刊になった「アルプ」に掲載されたもので、本書では「アルプ」の原稿に若干の手を加え、表記の統一をはかった。

 若いころから文章を書くのが好きだった父は、書きためたノートを大切にしまってあった。もっとも古いと思われるノートは「入笠山の記」「浅間山行」「谷川岳に登る」の三篇の山行記録が綴られたものである。「入笠山の記」と「浅間山行」は一九三九年(昭和十四年)、二十四歳の頃に書かれており、太平洋戦争が始まる前のものである。引っ越しのたびに惜しみなく物を処分する父であったが、この戦火をくぐりぬけたノートは青春の記録として残されしまい込まれていたのである。これらは山行から帰ってまもなく書かれたもののようで推敲を重ねたあとはないが、その描写はいきいきとして単なる山行記録とは趣を異にしている。

 詩の多くは一九四六年、すなわち終戦の翌年頃につくられたものである。終戦後の貧困のなかで生きる苦しみ、失恋の痛手、悩みといったものが詩作をかりたてたのであろうか。詩は随筆では表せない想いを表現できるのだということを、行間からあふれる感情が伝えてくれる。哀しみ、苦悩、喜び、そういった感情は「詩」という形をとることによって、より深い想いを盛り込むことができるに違いない。父の知られざる一面を垣間見た想いである。

 父はまた、穂高を舞台とした作品への想いを抱いていたようだ。古びたノートのなかからは恋人を穂高で亡くした女性を主人公にした未完の小説が二篇と、やはり穂高を舞台とした戯曲「晩照」が出てきた。完成しているのはこの「晩照」だけである。その創作のきっかけとなったのは「五、六のコル」に出てくる女性との出会いではなかろうか。父がフィクションを書いていたということは全く知らなかった。何回か書き直され推敲を重ねている「晩照」には、穂高と恋愛を結び付ける作品への思い入れが感じられるのである。

 原稿整理をしながらなんど読み返したであろうか。文章からあふれる人生の哀しさ、苦しさ、友情や愛情。残されたこれらの文章がなければ、父の心の奥底にしまいこまれた恋人や友人、そして山に対する深い想いを知ることなしに終わったであろう。文章ほど人の内面を表すものはないかもしれない。

 本書は作品集として、遺稿集として、また見方をかえれば自分史としての一冊になったと思う。そしてまたこれらの作品は、こよなく山を愛した父の、遥かなる山と遥かなる友への挽歌といえよう。辞書を片手に慣れない原稿整理を終え、ようやくひとつの責任を果たした思いである。

*   *   *   *


 初秋の霧ヶ峰は、松虫草のうす紫に染まる。霧ヶ峰に咲く花のなかでもこの松虫草の花が私はいちばん好きだ。数年前、その松虫草の中を殿城山に登った。車山乗越から殿城山への道を分けると、もう誰もいない。殿城山への入口には小さな道標が立ち、細いながらもしっかりした道がつけられていた。台風の尾をひいた霧雨のなかを登りついた山頂は人影もなく、「父の山」にふさわしい小さな頂であった。雲に閉ざされ展望のきかぬ山頂は、むしろ幸いだったかもしれない。この山頂からの景色は、もはや父が眺めていた景色ではない。

 子供の頃、ニッコウキスゲで黄色く塗りつぶされたそのなかを分け入って登り着いた喋々深山。黄金色に輝くヒョウモンチョウやタテハチョウを追った真夏の高原。アキアカネが空を覆うように群がり翔んでいた夏の高原。いつ行っても寂しさをたたえた七島八島の湿原。白樺湖から沢渡への春スキー・・・・・・。霧ヶ峰の思い出はつきない。そしてまた父にとって「庭」のような存在であった霧ヶ峰。数えきれない想いでを刻みこんだ霧ヶ峰・・・・・・。

 父は今、その麓の地蔵寺に安らかに眠っている。そして高原が松虫草の藤色に染まる頃、命日を迎えるのである。

二〇〇二年七月 記
編者 松田まゆみ
  

Posted by 松田まゆみ at 11:07Comments(3)あとがき