山の挽歌-松田白作品集- › ボン・スキー › 湯ノ湖一周
2009年01月07日
湯ノ湖一周
湯ノ湖に、朝の光が満ちていた。湖面は氷が張りつめているのだろう。雪に覆われて白く輝いている。スキーを滑らせるかすかな雪のきしみだけの音の世界で、鳥の声も聞こえない。夏は湖畔をめぐる遊歩道であるこの道も、今は柔らかい雪にすっぽり覆われ、右手は針葉樹の急斜面、左は湖である。その針葉樹林はクリスマスツリーのように、綿雪を被って静まりかえっている。
「いいなあ、これが山スキーの味って奴かな?」
「いつ来ても山はいいな。たまんねえな、この色を見ろよ」
その色は、スキーの先端で割られた雪の断面の色である。表面は白く下の方は次第に水色を増して、やがて青く沈んでゆく。妙に明るく、音楽的な階調の変化があった。
道はまったくの平らではなかった。小さな上り下りがあったし、時には倒木などもあって案外に時間を費やしたので、湯ノ湖の落口に着いたのは十一時をまわっていた。そこで湯ノ湖は川となって、一段低い小田代の原へと流れ落ちている。いわゆる湯滝である。
昼食には早かったが、私達は雪の上にザックを置いて腰を下ろし、弁当を取り出した。
そういえば今日は元旦である。今朝、宿で出された雑煮の餅の切れの大きかったこと。家で食べるそれの四倍のボリュームがあった。腹があまり空かないのはそのためであるらしい。
湯ノ湖の落口あたりは水が流れているせいか氷が張っておらず、深い青がたたえられて不気味でさえあった。そして水蒸気が湖面に漂っていた。
「ゲレンデで滑ったり転んだりしている奴に見せてやりたいな」とSが言う。
「ツアーでなければ味わえない味さ」
私は雪の森に向かって大声で怒鳴った。
「ザマーミロ!」
すぐ木霊が戻ってきた。
「ザマーミロ」
とにかく、あんよはお上手のスキーでも、カンジキなしで山を歩けるのは嬉しい。これで山の斜面を雪煙を上げて滑りまくることができたら、どんなに愉快だろうか。それこそ僻みなしに「ザマーミロ」である。その辺り一面に駆けずりまわっている兎の足跡、一列にまっすぐ点を連ねている狐の足跡、そんなものが、早く上手に滑れるようになりたいと思う私達の希望を煽った。
「さあ、早いとこゲレンデに帰って練習だ」
しかし、半日以上を費やしたこのツアーは、決して時間の浪費ではなかった。スキーに足を慣れさせ、普段の歩行に不必要なエッジングという足首の運動を、知らず知らずのうちに覚えこまされたのである。ただし、これは後でスキーの先生に教えられて、そうかなと思ったことなのだが。効果は確かにあったのだろう。ゲレンデに帰ってのエレベータースキーでは、昨日に比べ登りがぐんと楽になった。降りは? これは止めておく。何しろ、止まるためには尻もちをつくか、木に抱きつくか、遠く湯ノ湖の氷の上で自然に止まるか、それしか方法がなかったのである。全制動ストップなどという教科書に書いてある方法を試みれば、確実に頭を雪の中、いや笹の中に突っ込んだ。
「どうせ転ぶなら、もっと急な所でやろう」とSが言う。
ゲレンデの左側に急な斜面があった。そこでは上手な連中だけが滑っていた。「よしきた。急斜面を登る練習にもなる」。私達は、この鬼門の停止方法を性懲りもなく幾度も練習したが、もちろん一度として成功しなかった。
薄暗くなった旅館への帰り途、Sが憂鬱な顔をして言った。
「俺は昨晩夢を見たんだよ。あの笹の中へ顔を突っ込んだ途端、葉っぱで顔面をめちゃめちゃに切ってしまって、ひりひり痛くてかなわなかった。目が覚めてみたら、あのやたらと糊で突っ張らせたごぼごぼのシーツに、顔をこすりつけていた。だから俺は、今日は顔を突っ込みたくなかったんだがな。明日もまた突っ込まなきゃなんねえか!」
「まったく同感だな。俺も憂鬱だよ」
宿の炬燵にもぐり込んで、例の教科書を熟読吟味していたら、私ははからずも大発見をした。そこにはこう書いてあった。「全制動ストップは、スピードのあるとき行なってはならない。緩速時の停止に用いるもので、スピードは予め制動して徐々に落としてから行なうものである」
私はSにそこを見せた。
「なるほど、それじゃあスキー場が悪いんだ。下のほうにゆるい斜面がもっと長く存在しなければ駄目だ」と、スキー場のせいにした。しかし二人でよく考えてみたところ、スキー場のせいにするのは誤りであることを悟った。
「何も、毎度ゲレンデのてっぺんから滑り降りなくてもよかろう。もっと下の方から滑り出せば、加速度はつかない」という、いとも簡単な理論である。私達は毎回てっぺんまで登って、直滑降で滑り降りていた。そうしなければならないものと思っていた。
「では、明日は坂の途中から滑り出すか」
「でもつまんねえな、スピードが出ないもの」
そこで全制動ストップなる技術は練習を中止することにした。
「何としても、曲がって止まる方法でなければなんねえ。全制動回転、あれをやろう」というのが結論になった。
スピードが出なくては・・・・・・というのは痩せ我慢である。むしろこの頃、Sと私の慣習として、山は一番高い所まで登るものということが不文律となっていたからである。
宿に帰って部屋の前まで来たら、入り口の廊下に四つ折りの新聞紙が五、六枚重ねて置いてあった。その上に、墨黒々と次のように書かれていた。
「すみませんが、脱いだ靴下はこの上に置いてください」
なるほど、油漬けの靴下のことかと思って、いささか気が引けた。南間ホテルだったら、今頃態よく追い出されていただろう。味なことをやるオヤジだと思った。女中の告げ口に違いない。
夕食は豚汁だった。腹が空いていたので旨かったが、Sの奴が厚さ一センチ五ミリはある脂肪のついた豚肉のぶつ切りを箸でつまんで、暗い電灯にかざしてつくづく眺めている。そして突然言った。
「おい、これは何だ? ウヘッ、毛が生えてるぜ。毛までサービスとは泣けてくるぜ」
私は自分の椀の肉をつまみ上げて、薄暗い電灯にかざして見た。なるほど、脂肪の中から太くて剛い毛が二、三本とび出していた。
「ゲッ、ほんとだ。俺はさっきから二、三ヶ食っちまったぜ。ああ、毛抜きを持ってくるんだったな」
かくして私達はやむを得ず爪の先で豚の毛を抜き抜き、食べねばならなかった。抜いた毛は皿の縁に一本一本並べたが、皿を一周してまだお釣りがきた。
「シベリア狼じゃあるまいし、俺の胃液じゃ消化できないものな」とぼやいたが、味はめっぽう旨かった。
満腹は寝て消化するに限る。私達は仰向けにひっくり返って、明日の予定の打ち合わせをした。以下はその時の会話である。
「ゲレンデは飽きたな、明日は山にいこうや」
「その腕前で山に行こうっていうのか」
「ゲレンデで転ぶのも、山で転ぶのも同じじゃねえか」
「そうだな、降りながら練習すれば一挙両得だな」
「そうさ、ゲレンデでいい格好して滑ってやがる奴を見るとうんざりするな。俺たちは山へ登るためにスキーをやるんで、スキーのためのスキーをやりにきたんじゃないんだもの、すべからく実用的な山スキーの練習をやるべきだな」
「決まった! 明日は第三ゲレンデまで行って、練習しながら降りてこよう」
「そうだ、第三ゲレンデはもう金精峠(こんせいとうげ)に近い所にあるんだろう。うまくいったら金精峠まで行こうか」
「それはいい。峠のとっつきは急だけど何とかなるだろう。天気さえよければ行こう」
考えてみれば無茶な話しである。スキーを履いて三日目、まだ曲がれるどころか転ぶ以外にスキーを止めることのできない奴が、標高二千メートルを越える冬の金精峠へ登ろうというのである。しかし私達には夏の金精峠しか頭になかった。夏は簡単に登ってしまった記憶しかなかった。そしていとも簡単にそれを実行に移した。思いがけない事態によって、ただ未遂に終わっただけである。
「いいなあ、これが山スキーの味って奴かな?」
「いつ来ても山はいいな。たまんねえな、この色を見ろよ」
その色は、スキーの先端で割られた雪の断面の色である。表面は白く下の方は次第に水色を増して、やがて青く沈んでゆく。妙に明るく、音楽的な階調の変化があった。
道はまったくの平らではなかった。小さな上り下りがあったし、時には倒木などもあって案外に時間を費やしたので、湯ノ湖の落口に着いたのは十一時をまわっていた。そこで湯ノ湖は川となって、一段低い小田代の原へと流れ落ちている。いわゆる湯滝である。
昼食には早かったが、私達は雪の上にザックを置いて腰を下ろし、弁当を取り出した。
そういえば今日は元旦である。今朝、宿で出された雑煮の餅の切れの大きかったこと。家で食べるそれの四倍のボリュームがあった。腹があまり空かないのはそのためであるらしい。
湯ノ湖の落口あたりは水が流れているせいか氷が張っておらず、深い青がたたえられて不気味でさえあった。そして水蒸気が湖面に漂っていた。
「ゲレンデで滑ったり転んだりしている奴に見せてやりたいな」とSが言う。
「ツアーでなければ味わえない味さ」
私は雪の森に向かって大声で怒鳴った。
「ザマーミロ!」
すぐ木霊が戻ってきた。
「ザマーミロ」
とにかく、あんよはお上手のスキーでも、カンジキなしで山を歩けるのは嬉しい。これで山の斜面を雪煙を上げて滑りまくることができたら、どんなに愉快だろうか。それこそ僻みなしに「ザマーミロ」である。その辺り一面に駆けずりまわっている兎の足跡、一列にまっすぐ点を連ねている狐の足跡、そんなものが、早く上手に滑れるようになりたいと思う私達の希望を煽った。
「さあ、早いとこゲレンデに帰って練習だ」
しかし、半日以上を費やしたこのツアーは、決して時間の浪費ではなかった。スキーに足を慣れさせ、普段の歩行に不必要なエッジングという足首の運動を、知らず知らずのうちに覚えこまされたのである。ただし、これは後でスキーの先生に教えられて、そうかなと思ったことなのだが。効果は確かにあったのだろう。ゲレンデに帰ってのエレベータースキーでは、昨日に比べ登りがぐんと楽になった。降りは? これは止めておく。何しろ、止まるためには尻もちをつくか、木に抱きつくか、遠く湯ノ湖の氷の上で自然に止まるか、それしか方法がなかったのである。全制動ストップなどという教科書に書いてある方法を試みれば、確実に頭を雪の中、いや笹の中に突っ込んだ。
「どうせ転ぶなら、もっと急な所でやろう」とSが言う。
ゲレンデの左側に急な斜面があった。そこでは上手な連中だけが滑っていた。「よしきた。急斜面を登る練習にもなる」。私達は、この鬼門の停止方法を性懲りもなく幾度も練習したが、もちろん一度として成功しなかった。
薄暗くなった旅館への帰り途、Sが憂鬱な顔をして言った。
「俺は昨晩夢を見たんだよ。あの笹の中へ顔を突っ込んだ途端、葉っぱで顔面をめちゃめちゃに切ってしまって、ひりひり痛くてかなわなかった。目が覚めてみたら、あのやたらと糊で突っ張らせたごぼごぼのシーツに、顔をこすりつけていた。だから俺は、今日は顔を突っ込みたくなかったんだがな。明日もまた突っ込まなきゃなんねえか!」
「まったく同感だな。俺も憂鬱だよ」
宿の炬燵にもぐり込んで、例の教科書を熟読吟味していたら、私ははからずも大発見をした。そこにはこう書いてあった。「全制動ストップは、スピードのあるとき行なってはならない。緩速時の停止に用いるもので、スピードは予め制動して徐々に落としてから行なうものである」
私はSにそこを見せた。
「なるほど、それじゃあスキー場が悪いんだ。下のほうにゆるい斜面がもっと長く存在しなければ駄目だ」と、スキー場のせいにした。しかし二人でよく考えてみたところ、スキー場のせいにするのは誤りであることを悟った。
「何も、毎度ゲレンデのてっぺんから滑り降りなくてもよかろう。もっと下の方から滑り出せば、加速度はつかない」という、いとも簡単な理論である。私達は毎回てっぺんまで登って、直滑降で滑り降りていた。そうしなければならないものと思っていた。
「では、明日は坂の途中から滑り出すか」
「でもつまんねえな、スピードが出ないもの」
そこで全制動ストップなる技術は練習を中止することにした。
「何としても、曲がって止まる方法でなければなんねえ。全制動回転、あれをやろう」というのが結論になった。
スピードが出なくては・・・・・・というのは痩せ我慢である。むしろこの頃、Sと私の慣習として、山は一番高い所まで登るものということが不文律となっていたからである。
宿に帰って部屋の前まで来たら、入り口の廊下に四つ折りの新聞紙が五、六枚重ねて置いてあった。その上に、墨黒々と次のように書かれていた。
「すみませんが、脱いだ靴下はこの上に置いてください」
なるほど、油漬けの靴下のことかと思って、いささか気が引けた。南間ホテルだったら、今頃態よく追い出されていただろう。味なことをやるオヤジだと思った。女中の告げ口に違いない。
夕食は豚汁だった。腹が空いていたので旨かったが、Sの奴が厚さ一センチ五ミリはある脂肪のついた豚肉のぶつ切りを箸でつまんで、暗い電灯にかざしてつくづく眺めている。そして突然言った。
「おい、これは何だ? ウヘッ、毛が生えてるぜ。毛までサービスとは泣けてくるぜ」
私は自分の椀の肉をつまみ上げて、薄暗い電灯にかざして見た。なるほど、脂肪の中から太くて剛い毛が二、三本とび出していた。
「ゲッ、ほんとだ。俺はさっきから二、三ヶ食っちまったぜ。ああ、毛抜きを持ってくるんだったな」
かくして私達はやむを得ず爪の先で豚の毛を抜き抜き、食べねばならなかった。抜いた毛は皿の縁に一本一本並べたが、皿を一周してまだお釣りがきた。
「シベリア狼じゃあるまいし、俺の胃液じゃ消化できないものな」とぼやいたが、味はめっぽう旨かった。
満腹は寝て消化するに限る。私達は仰向けにひっくり返って、明日の予定の打ち合わせをした。以下はその時の会話である。
「ゲレンデは飽きたな、明日は山にいこうや」
「その腕前で山に行こうっていうのか」
「ゲレンデで転ぶのも、山で転ぶのも同じじゃねえか」
「そうだな、降りながら練習すれば一挙両得だな」
「そうさ、ゲレンデでいい格好して滑ってやがる奴を見るとうんざりするな。俺たちは山へ登るためにスキーをやるんで、スキーのためのスキーをやりにきたんじゃないんだもの、すべからく実用的な山スキーの練習をやるべきだな」
「決まった! 明日は第三ゲレンデまで行って、練習しながら降りてこよう」
「そうだ、第三ゲレンデはもう金精峠(こんせいとうげ)に近い所にあるんだろう。うまくいったら金精峠まで行こうか」
「それはいい。峠のとっつきは急だけど何とかなるだろう。天気さえよければ行こう」
考えてみれば無茶な話しである。スキーを履いて三日目、まだ曲がれるどころか転ぶ以外にスキーを止めることのできない奴が、標高二千メートルを越える冬の金精峠へ登ろうというのである。しかし私達には夏の金精峠しか頭になかった。夏は簡単に登ってしまった記憶しかなかった。そしていとも簡単にそれを実行に移した。思いがけない事態によって、ただ未遂に終わっただけである。
Posted by 松田まゆみ at 09:35│Comments(0)
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