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2009年01月15日

第七日(2)

 近代スキーにボーゲンはもはや忘れかけた技術となっているが、樹木の密生した処女雪の四十度の急斜面を安定したフォームで降りるボーゲンの心地よさは、知る人ぞ知るである。三、四十メートル幅に伐り開かれたスキーコースのみを滑り回る最近のスキーヤーに、この気分はわからないはずである。
 ボーゲンは、忘れられた技術となりつつある。一九七〇年度の全日本スキー連盟指導書でも、シュテムボーゲンはクリスチャニアに入るきっかけの練習技術としてしか考えていないように見受けられる。バッジテストにもボーゲンは廃止されるだろう。
 日本のスキーはリフトが発達し、よちよち歩きしかできないようなスキー靴になり、踵(かかと)は靴ごとぴったりスキーに固定され、ただスピードの快味と、パラレルクリスチャニア、ウェーデルン、ムルメルといったスキーテクニックに集約されていくようだ。滑走は森を伐り開いたスキーコースに限定され、それ以外の樹林帯はほとんど省みられなくなった。そんなスキーももちろんまた楽しい。私も現在はそんなスキー場でスキーを楽しんでいる。しかし変化のなさに飽きることもある。
 最近ある若いスキーヤーに聞いたら、スキーの面白さは、その精一杯のスピードとそれに耐えられないで転倒に至るその寸前にあるのだと答えた。私はなるほどと感心した。彼は登山の好きな男である。確かにそんなところにもスキーの快味はあるのだろう。しかし、一面、私は現在のスキーヤーが気の毒になる時がある。せっかく恵まれた樹林の雪の斜面をもつ日本のスキー場だ。それは欧州アルプスやヒマラヤには求むべくもない。そんな自然の斜面が滑れないことはもったいないではないか。そこにも快味は存在しているのだ。
 重いリュックサックを背負い、樹林の密生した深雪の四十度の急斜面を安定したフォームで確実に降りていく・・・・・・あの心地よさは、山スキーの醍醐味なのだ。淘汰された芸術ともいえるあのテクニックも、立派にスキーの快味を持つ一分野だと思うのだ。そして、そうした場所を滑るだけというのなら、現在のスキー用具は昔のものよりよほど滑りよくできている。
 だから私はときたま長いリフトを乗り継いで、あるいはロープウェイを利用して一番高い所まで行き、降りはコースを外れて未知の尾根や谷の自然林の中に飛び込むことにしている。そこにはスキーのシュプールの代わりに動物の足跡だけのある新雪の斜面がある。樹木の密生した急斜面、雪を被った藪の落とし穴、クラストした尾根、凍った雪、腐った雪、時として腰までもぐる雪がある。断崖の行き止まり、渡れない川、雪崩(なだ)れそうな斜面もある。自然の創ったさまざまの変化が存在している。時に応じ、所に応じてクリスチャニアで、ボーゲンで、横滑りでその変化に対応する面白さを一人で楽しんで、にやにやするのだ。
 そんな時、オールドスキーヤーでしか知らないその味を、一度味わってみたい若者がいないかなあと思うのである。私は日本のスキーが一つの方向にだけ発展しているように思えるときすらあるのだが、それは自然に放置された斜面への私の郷愁でしかないのだろうか。

 話しが脱線してしまったが、元へ戻そう。
 食後のコーヒーを飲みながら名人は言った。
「俺は明日帰るが、おまえ達はまだやっていくのか」
「僕らも明日帰りますが、午前中もうひと滑りします」
「ヨーシ、それではちょうどいい。午前の練習なんか止めて俺とつき合え。小田代原を突っ切って、竜頭の滝を下って菖蒲花まで滑る。バスはそこから乗るのだ」
 一瞬、返事に詰まった。明日またしごかれるという気持ちと、小田代原のスキーツアーと、名人のスキーに追いついていくのは大変だという気持ちが入り交じったのだ。Sも同じ気持ちだったのだろう。
「先生のお荷物になりはしませんか?」と聞いた。
「そんなことはないさ、君達のペースに合わせる。心配するな。君達は山が好きらしい。俺も好きだが・・・・・・。ヨーシ、明日はスケート滑降を教えてやる。帰り途の小田代原はちょうどいいスケート滑降の練習場だ。明日は早起きしろ、六時半の出発だ」
 名人は例によって勝手に決めてしまった。仕方なしに私達は、「よろしくお願いします」と言ってしまったが、少々うんざりした反面、スケート滑降が教われると思う期待と、夏通った小田代原の美しさを思い出し、急に楽しくなった。
 ヨーシの先生のスケート滑降は、誰の目にも素晴らしかったのである。ゲレンデの半分までは右足で、後の半分は左足で滑ってみせたりしていた。おそらくゲレンデのてっぺんから片足で滑り降り、片足でストップすることもできるはずだった。現に、午後その想像を実現して見せてくれたのだ。
 てっぺんで「明日またよろしくお願いします」と挨拶を交わすや否や先生は片足で滑り出し、斜面の下でストップもせずそのまますーっと左に大きく回って木立の中に一本足のまま姿を消していった。私達は思わず溜息をもらした。
「いつかあんな風になりたいなあ」
 独り言のように言葉がついた。

 初めてのスキーの最後の晩だった。お膳の上にはお銚子が一本載っていた。宿のオヤジに、「中学生だからお酒は飲まないよ」と言ったら、「明日で松の内も明ける。縁起ものだから二人で半分ずつくらいいいさ、いや何お屠蘇だ」と言う。おちょこに注いで飲んでみたら本物のお酒だった。二杯ずつ飲んで止めておいたら、膳を下げにきた女中さんがとっくりを振った。
「まだ沢山残っているじゃないの」
「お酒飲めないからいいよ」
「そう、可愛いわね。私戴いちゃっていいかしら」
「いいさ」
「それじゃ戴くわ、コレには黙っていてね」と親指を立てた。
「うん言わないよ」と言ったら、いきなりとっくりからゴクゴクと飲んでしまった。まだ十五、六としか思えないのにとんだウワバミ娘だ。
 挙句の果て、「私匂うかしら、困ったな。お布団しいていくわ。ついでにあの歌教えて」ときた。昨夜の歌のことらしい。酔いの醒めるまで、どうやら帰るつもりがないらしい。仕方なく布団を敷くのを手伝った後、私達は覚えの悪いこの娘に「さくら貝の歌」を教えてやらねばならなかった。


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Posted by 松田まゆみ at 08:08│Comments(0)ボン・スキー
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