さぽろぐ

日記・一般  |その他北海道

ログインヘルプ


2009年01月16日

第八日

 湯ノ湖の水は湯滝となって、一段低い小田代原に落下している。そこを下るのは短いが急斜面だ。先生はリフトステミングターンという、犬ション式回転法で簡単に回りながら降りてゆく。犬ションとはSが命名したもので、犬が電信柱の傍らで行なうあの格好で回るのである。ヨーシの先生は最後の急斜面を直滑降でサーッと降り、テレマークで止まるとおいでおいでをした。
 直カリで来いというのだろうと思ったからSと目顔でうなずき合って、一、二、三で二人一緒にスタートしたが、下の平で二人同時に顔からすっぽり吹き溜まりの新雪の中に突っ込んだ。その時の気持ちは水泳の飛び込みのそれに似ていた。頭の上あたりにリュックサックがどんと乗っているのだ。手を突っ張れば際限なく雪の中に埋まってしまう。もがいてももがいても全然抵抗がない。二本の足はスキーを付けたまま空中に立っているらしい。
「大丈夫か?」という先生の声が、いやに遠くの方で聞こえた。大丈夫だと答えたかったが、雪が口の中に入り込んでいて声にならない。仕方ないからスキーを拍子木のように打ち合わせてみた。もがくのを諦めてじっとしていたら、先生が私の膝から腿(もも)を二本まとめて腕で抱えて、よいしょと引っ張った。ごぼう抜きとはこんなことだろう。やっと抜き出されて口に詰まった雪を吐き出し服をはたいていたら、「おーい手伝え」という声がした。
 Sの方が私よりよけいにもぐっていたらしい。彼は体重が重いためなのだろうが、膝から下が外へ出ているだけである。先生一人の手には負えないらしい。二人で一本ずつ足を抱えて一、二、三のかけ声で引っ張り出した。
 私はSの顔にまたまた引っかき傷だの鉤裂きができているのではないかと心配したが、幸いに古い傷跡が残っているだけなので安心した。近眼のSの眼鏡を探すのにひと苦労した後で、先生は「ごめん、ごめん」と初めて謝った。まさか君達が直カリをやるとは思わなかったと言うのだ。
 湯川は音もなく流れている。その湯川に沿ってほとんど平坦な小田代原が林を連ねている。ここへ夏来た時は、滴る緑の木陰で魚を釣る人が幾人か釣糸を垂れていたことが思い出される。今は白一色の雪の上に、兎の足跡が入り乱れていた。
「あれがフォックストロットだ。どうだ、スカンジナビアの匂いがするだろう」とヨーシの先生は味なことを言う。真黒に日焼けしてインド人みたいな先生だが、どうもただ者ではないらしい。知識階級のオジサンであることに間違いはないようだ。
 ルートは湯川沿いに少しずつ竜頭の滝に向かって傾斜しているようだ。先生の言うようにスケート滑降の練習にはもってこいの場所なのだ。こんな長い練習場など滅多にあるものじゃない。六キロは優にあるだろう。
 はじめはなかなかうまくいかなかった。現在のスキー締め具ならスケート滑降は難しいものではないが、フィットフェルト締め具の時代は少々要領が違っていた。踵(かかと)がスキーからバタンバタン離れるから、スキーを上向きに空中に押し出してテールは雪面を擦っていくのだ。踵が左右に動くのでやりにくい。しかし延々六キロの練習場である。そこで適切な説明と指導を受けながら、スケート滑降ばかりやらされれば、いくら運動神経の鈍い奴でもうまくならざるを得ない。確かにスケート滑降だけはうまくなった。
 私達が一番完全に覚えこんだのはスケート滑降だった。そしてこれはスキー上でのバランスをとる練習として、いわゆるスキーに慣れる意味において貴重だったといえる。これはヨーシの先生に一番感謝しなければならないことだった。スキーの下手な時期に何かひとつ、たとえばこのスケート滑降だけに自信を持つことができたのは、初スキーの第一の収穫だった。次のスキー行にもそれに続く何回かのスキー行にも、下手な私達のスキー技術の中で、スケート滑降となると二人とも見違えるようにうまく滑れた。
 五キロもスケート滑降をやらされたのではたまらない。私達はふらふらになって竜頭の小屋で大休止をとった。いかに上手とはいえ、大先生だって疲れたのだろう。ストーブの周りからなかなか立ち上がろうと言わなかった。もっとも時間はたっぷりあった。
 竜頭から菖蒲浜まで短いが楽しい滑降が待っていた。鱒の養魚池を通り菖蒲浜のバス停で三人が湖に向かって砲列を敷いていたら、湯元に行くバスが上っていった。
「やれやれ、あのバスが戻ってくるまで待たねばならないのか」
 先生は大きなあくびをした。
 東武日光駅で丁寧に頭を下げて先生と別れた。先生のお名前は確か聞いたはずだが、今は忘れてしまったし、住所もその時聞きもらした。その後再びスキー場でお会いすることもなかった。
 二人とも電車内はぐっすり寝込んでしまい、浅草雷門駅に着くまでの記憶はない。
 よたよたと駅前に出てみたら、ひどく腹の減っていることに気がついた。それにやけに寒いのだ。懐中の残金は少なかったが、食事をするのに不都合なほどではなかった。
「豪勢に食おうや」と言ったら、Sも賛成した。
 食後、財布の中を覗きながら果物やコーヒーを注文して、さて満腹になったところで急に家のことを思い出した。おふくろや親父の顔が眼底に浮かんだが、その顔が一瞬般若顔と仁王顔になった。そうだった。おふくろはともかく親父は服に縫い込まれている五円也のことは知らないはずだ。おふくろにしても万一の用意としてで、使っていいとは言わなかった。八日の間泊まってこられるとは、親父どもの算盤(そろばん)に乗るはずがない。
「おいS、家じゃ心配しているだろうな」
「そうだな、俺は三男坊だからそうでもないかもしれないが、それでも心配しているだろうな。葉書のひとつも出しておけばよかったかなあ」
「南間ホテルへでも電話かけて、いないと言われたら?」
「捜索願いか? オイ」
「まさか今日は出さないと思うけど、いずれにしても怒られるぜ」
「こりゃすこったかな。帰ろう」
 市電の停留所でSが立ち止まって何やらもそもそやっている。
「どうしたんだ」と言ったら、往きに買ってSに預けておいた市電の往復切符がないと言うのだ。何しろ豪勢に食ってしまって財布には一銭しか残っていない。Sも似たりよったりだ。
「おい、歩いて帰るのかよ」
「どうもそういうことになるらしい」
「ウエッ、四、五十分かかるぜ」
「仕方ない、諦めろよ。腹が満腹なんだから腹ごなしだ。睡眠は十分とったしな」
「しょうがねえな、歩くか」
 この時になって私は上衣に縫い込まれているはずの金五円のことはころりと忘れていた。もっとも気がついたとしても、市電ではとうてい細かく崩してはくれなかったろう。片道運賃七銭の時代だからである。店屋も起きているのは食堂か屋台のうどん屋くらいなもので、真暗な街路にはほとんど人の姿が見当たらないのだ。
「勝手にしやがれ、歩こう」
「おお寒、スキー場の方があったけえや」
 真暗の二人は、一人は顔に鉤裂きの跡を残し、一人はズボンの膝小僧に鮮やかな鉤裂きの跡を残して、久方ぶりのお江戸のからっ風に吹かれてとぼとぼと、否、スキーを肩にふらふらとわが家へ向かったのである。(完)

*お読みいただきありがとうございました。他の作品(カテゴリーが作品名)もお読みいただけると幸いです。


あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(ボン・スキー)の記事
 第七日(2) (2009-01-15 08:08)
 第七日(1) (2009-01-14 12:23)
 第六日、初めてのスキーツアー(2) (2009-01-13 15:23)
 第六日、初めてのスキーツアー(1) (2009-01-12 10:17)
 第五日 (2009-01-11 10:19)
 第四日 (2009-01-10 10:51)

Posted by 松田まゆみ at 14:35│Comments(0)ボン・スキー
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
第八日
    コメント(0)