さぽろぐ

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2009年01月19日

出会い(2)

 なにやら、遠くでかすかに歌声が聞こえる。俺が歌っているのかな、と思ったのはそれがどうやら「放浪人の歌」だったからだろう。歌声はしかし、だんだん大きくはっきりしてきた。と思ったら、意識が蘇り目が覚めた。歌は夢ではなかった。確かに私の頭の斜め左、それもすぐ傍らから小声だがはっきり聞こえる。あの女(ひと)に違いない。私は照れ隠しに目をこすりながら起き上がった。
「目が覚めた?」
 二メートルほど離れて、やはり芝生に足を投げ出した女が笑いかけていた。折り畳んだ画架とキャンバスが傍らに放り出してあった。
「いつまで寝てんのさ。風邪ひくわよ」
 先ほどはろくに顔も見なかったのだが、アテーナかミネルバか? 彫刻のように引き締まった浅黒い顔が白い歯並を見せていた。
「あんた、これからどこへ行くつもり?」
「ええ、それなんだけど……」
 私はまだはっきりしない目を擦り擦り答えた。
「考えているうちに眠くなっちゃって……」
「のんきね。今の季節にはバスはないし……。ここへ泊まるつもりだったんだろう? 宿屋のある所まで、歩けば四、五時間かかるよ」
「そうですか。実は、いざとなったら縁の下のご厄介になるつもりだったけど、この小屋、縁の下に潜り込めないんですよ」
「フフフ、よかったわね、入れなくて。縁の下で鼠と同居したらどうなると思う。島の鼠は大きくて獰猛(どうもう)よ。鼻の頭、かじられるわよ」
「ウェー、おどかさないでよ。このあたりで泊めてくれそうな民家(うち)、知りませんか?」
「あきれた人ね。民家は一時間くらい先の入江の中よ。でも、男の子ってのんきでいいね」
「男の子じゃなくて、僕は一人前の男ですよ、もう……」
 相手の気軽さに、私も口が軽く動いた。
「あら、そう……。でも君は全然男臭くないよ。男の子にしときなよ」
 この辺から彼女の口調は俄然、男っぽくなった。しかし、十年もつき合った友だちのようにというより気の置けない姉に対する弟のように、私には何のこだわりもなく話ができるのが不思議に思えた。私は彼女を二つ三つ年上かなと思ったが、彼女は私を学生と思っているらしかった。
 陽は西に傾きかけていたが、この島の東岸は暖かかった。芝生の緑の向こうに、相変わらず濃青の海がアメリカまで何もないかのように広がり、光が満ち溢れそうだった。
「あんた今時分、何しにここへ来たの?」
「何しにって……。なんとなくムシャクシャすることがあって、お金のなくなるまでほっつき歩こうと思って」
「そう……。私はひょっとしたら自殺志願の文学青年かと思ったよ。ゲルピンなら、私の泊まっている家に泊めてやろうか……。それとも縁の下の方がいい?」
「イヤー、鼠はゴメン。性に合わないんですよ」
「ホホホホ、じゃあ決まった。ついてらっしゃい。白いご飯食べさせて、お布団の上に寝かしてやるから。私は捨て猫を一匹拾ったと思えばいいんだから……」
 こうして私に捨て猫の道中が始まった。サブザックを負った私は空いた手に画架を持ち、絵の具箱と画板を持った彼女と連れだった。海沿いを白くうねる道に、二つの長い影が落ちていた。両側の濃い緑は、そのクチクラが照り返す艶やかな濃緑の椿である。ゆっくりと歩を運びながら、私はこんな風景をどこかで見たことがあるような気がしていた。映画の中であったか絵画だったのか思い出せなかったが、木々は椿ではなくオリーブだったと自分で勝手に決めていた。
 これがSとの出会いである。


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