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山の挽歌-松田白作品集- › 青春挽歌 › 石老山顕鏡寺(1)

2009年01月27日

石老山顕鏡寺(1)


注:「トベラの島」がこの作品「青春挽歌」の前編になります。

 Sとの別離は同時に、私の青春への離別となった。二十六才の晩秋の一日を、私は一生忘れることができないだろう。

 幾度か訪れるうちにすっかり親しみ深い町となってしまった与瀬(よせ)だったが、今日のように静かで陰深い与瀬の町は初めてだった。日曜とはいえ、さすがに師走が近いのだ。都会のハイカーの姿も見当たらず、土地の人の影さえほとんど見えなかった。見覚えのある土蔵の傍らに、真紅の鶏頭の花が爛熟した頭を重そうに垂れている。夏は、確かそのあたりにおしろい花が咲き乱れていた。
 与瀬という町の名は、山窩(さんか)のヨセバ(寄合場)からきたのだという。昔は、山窩の集合所だったのだろう。道にはうっすらと霜が降りている。
 Sはさっきから、道に捨てられてあったさつま薯を蹴とばしながら歩いている。薯の半面は白い霜だったが、今は赤茶けた表皮に無数の傷ができて無惨な姿になっている。
 町を通り抜け、道は次第に下っていって桂川を吊橋で渡る。橋の真中で薯はついに川の中に蹴落とされた。白茶けた拳大の塊が音もなく落ちていき、小さな波紋を残して水中に吸い込まれる。青黒に何ともいいようのない色の流れが渦巻き、淀み、後から後から止めどなく押し流されてゆく。
 川上は、積み重なった段丘の間に屈曲して見えない。そして、もうそのあたりには冬の色しかない。十一月というのは、何と悲しい色を持っているのだろう。
 Sとの山行も、今日限りでおしまいになるという。昨日そんな話を聞いて、急に思いたった山旅だった。過去三年の間、Sとの山行はたび重なって幾回になるだろう。北ア、秩父、上越、甲武相(こぶそう)、南アと、この山行の連続が、今日限りでおしまいになるというのは何といっても淋しいことだった。しかし、そのくせ何とはない安堵感のようなものが、私の胸の奥に生じたことも事実だった。なぜだか、私にはよくわかっていた。
 三日前の電話でSは、「これが最後の山行よ」と言った。
 川を越した道は、今度は段丘を上る。雑木林の中の道は急に細くなって、落葉が私達の足元でカサコソと鳴る。二人だけの足音がようやく山旅らしい感慨を誘う。幾曲がりかして登り切った小さな峠には、こましゃくれた石の地蔵さんがちょこなんと一人晩秋の光を浴びている。そしてその前に小さな黄色い草地があった。
「少し休んでいかない?」
 私はザックを下ろして言う。Sは黙ってうなずく。
 ほとんど葉の落ちた雑木の上に、甲武相国境の狐色の連嶺が長々と見渡される。それは澄み切った空の下に、暖かそうに陽を浴びた草の嶺である。
 今年の春、小糠雨のそぼ降る日にあの向こう側の谷合を、同じSと歩いた日のことを思い出す。あの時、霧雨の中に手毬(てまり)のような紫陽花(あじさい)の花が幾つも幾つもぼーっと現われては消えた、妙に印象的な風景をふと思い浮かべる。
 あの日、藍ねずのスーツを着ていたSは、今日は黒のワンピースを着ていた。すらりと背の高い混血のSには黒のワンピースがよく似合う。
 引き締まった美しい姿態。私にはSがほんとうの姉のように思える時がある。三つばかり年上だからだろうが、今日の言葉少ないSは特にそうだ。そのことを言葉に出して言おうかなと思った時、急に下の方から下駄らしい足音が聞こえてきた。
 やがて木の間に最初に現われたのは、小さな桃割れの頭だった。その晴着を着飾ったお百姓の娘さんは、私達に気がつくと恥ずかしそうにうつむいて小走りに前を通り抜けた。
 後ろ姿を見送っていると、頭の桃割れがぴょこぴょこといつまでも桑畑の上に見えている。
「桃割れはいいなあ!」
 Sが嘆息と一緒に言う。
「あの年頃がなつかしい? 姉さんもあんな時代があった?」と私が聞くと、「ところがないのよ。おかっぱで暴れているうちに、大人になっちゃった」と言って、彼女は立ち上がる。私もザックを背に立ち上がる。


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Posted by 松田まゆみ at 17:08│Comments(0)青春挽歌
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