山の挽歌-松田白作品集- › 青春挽歌 › 石老山顕鏡寺(2)
2009年01月28日
石老山顕鏡寺(2)
道端には一寸ほどの霜柱が、真黒な土を被って並んでいる。ときおり頭の上で竹林がサヤサヤとさやぐ。この辺には竹林が多い。風が吹くたびに、ちかちかと葉末が光る。竹林は良い。直截で端正でいつもすがすがしい。
「石老山顕鏡寺」
石に刻まれた筆太の文字、いつか私達はその前に立っている。この禅寺が石老山の登り口だった。
私は禅寺が好きだ。何よりもそのひんやりと沈んだ空気の静かな漂いが好きだ。境内には大銀杏が二、三本、天に向かって大箒(ほうき)を逆さにしたように葉のない梢を聳立(しょうりつ)させていた。
「銀杏は征矢を射落として……」と歌った土井晩翠の詩さながらの姿で、青い天に向かって立っている。根元は一面に黄色い小扇を敷きつめている。Sは立ち上がって、その葉を二、三枚拾い上げる。
「奇麗だわ、この葉っぱ……」
子供のように目を輝かせて言う。
「僕はもっといいのを拾うぞ」
私もかがみ込んで拾う。二枚、三枚、五枚と、私の手に黄色い小扇が溜まる。Sも拾っている。
私はふと探すのを止めて、葉を拾うSの後ろ姿を見る。なぜかSの肩のあたりが思いのほかやつれて見える。その肩の向こうに冠木門(かぶきもん)が見える。
門内は顕鏡寺の掃き上げた庭である。冷たい風が、その辺りからそよそよと吹いてくる。ひっそりとして人の気配がない。
無から有へ、有から無へ、永劫(えいごう)に連なる無常感の古びた源泉がその辺りにある。東洋の哲学の静謐(せいひつ)が領している。
やつれて見えるSの肩。私はもう十年も前に、同じような肩を見た記憶がある。
十七か八の頃だった。初牛のお祭りの宵である。昼間の賑わいも去り、ローソクの灯の入った紙行灯だけが家の軒にゆらめいている黄昏時、私は四つ年上の叔母と散歩に出た。裏の稲荷には池があったが、その池のほとりに一本の木ささげがあった。稲荷も池も、私の曽祖父が屋敷内に造ったものだったが、その時この木も曽祖父が植えたものだったという。その木を背にして彼女は立ち止まった。いつになくしんみりとした口調で言う。
「キッちゃん、私もうじき遠いところへ行くの。キッちゃんはお母さんを大事にしてあげてね。たとえどんなことが起こっても、兄妹で力を合わせてね」
「どうして急にそんなこと言うの」
何やら急に不安な気持ちに襲われて、私は聞いた。
「何でもないの、ただなんとなく心配になったのよ……」
「道ちゃん、お嫁にいくんだろう……。おめでとうって言いたいけど、淋しいな、僕」
「道子だって淋しいわ。でもしょうがないでしょ……。キッちゃんがお坊ちゃんだから心配なの。さあ、もう行こう」
「なあんだ、馬鹿にしてらあ。お嫁さんの感傷か」
彼女はつと、木ささげの幹を離れて歩き出した。行灯の黄色い光が、彼女の肩から手先に流れる着物の線をすらりと浮き出させていた。それがなんとなくやつれて見えたのを、私は行灯の紙に描かれた初午の絵とともに鮮やかに思い出した。
それから二ヶ月後に叔母は大阪に嫁いでゆき、この五年の後、老舗であった私の家は潰れる。屋敷は人手に渡った。そんな経験があったせいか、Sは結婚するんだな……と私は直感した。昨日聞いた転勤なんてきっと嘘だと思う。その時、Sは私を振り向き、いぶかしげな顔をした。
「何をぼんやりしてるの、坊や」
彼女は背中に私の視線を感じたらしい。
「ううん、姉さんが今日はばかに女らしく見えるんで、みとれてたとこさ。
「ボンボンのくせに、生意気だぞ」とSはにらむ。
私達の手帳には、形のよい銀杏の二、三葉が選び出されて挟まれた。
「さあ行こう」
Sは先に立って歩き出す。私はまたしても過去の道子叔母との会話を思い出す。あの時と同じような会話。昔あったことの繰り返し。何だか、不吉な予感のようなものが私の背を走る……。
道は、ここからほんとうに山らしい登りとなる。
「石老山顕鏡寺」
石に刻まれた筆太の文字、いつか私達はその前に立っている。この禅寺が石老山の登り口だった。
私は禅寺が好きだ。何よりもそのひんやりと沈んだ空気の静かな漂いが好きだ。境内には大銀杏が二、三本、天に向かって大箒(ほうき)を逆さにしたように葉のない梢を聳立(しょうりつ)させていた。
「銀杏は征矢を射落として……」と歌った土井晩翠の詩さながらの姿で、青い天に向かって立っている。根元は一面に黄色い小扇を敷きつめている。Sは立ち上がって、その葉を二、三枚拾い上げる。
「奇麗だわ、この葉っぱ……」
子供のように目を輝かせて言う。
「僕はもっといいのを拾うぞ」
私もかがみ込んで拾う。二枚、三枚、五枚と、私の手に黄色い小扇が溜まる。Sも拾っている。
私はふと探すのを止めて、葉を拾うSの後ろ姿を見る。なぜかSの肩のあたりが思いのほかやつれて見える。その肩の向こうに冠木門(かぶきもん)が見える。
門内は顕鏡寺の掃き上げた庭である。冷たい風が、その辺りからそよそよと吹いてくる。ひっそりとして人の気配がない。
無から有へ、有から無へ、永劫(えいごう)に連なる無常感の古びた源泉がその辺りにある。東洋の哲学の静謐(せいひつ)が領している。
やつれて見えるSの肩。私はもう十年も前に、同じような肩を見た記憶がある。
十七か八の頃だった。初牛のお祭りの宵である。昼間の賑わいも去り、ローソクの灯の入った紙行灯だけが家の軒にゆらめいている黄昏時、私は四つ年上の叔母と散歩に出た。裏の稲荷には池があったが、その池のほとりに一本の木ささげがあった。稲荷も池も、私の曽祖父が屋敷内に造ったものだったが、その時この木も曽祖父が植えたものだったという。その木を背にして彼女は立ち止まった。いつになくしんみりとした口調で言う。
「キッちゃん、私もうじき遠いところへ行くの。キッちゃんはお母さんを大事にしてあげてね。たとえどんなことが起こっても、兄妹で力を合わせてね」
「どうして急にそんなこと言うの」
何やら急に不安な気持ちに襲われて、私は聞いた。
「何でもないの、ただなんとなく心配になったのよ……」
「道ちゃん、お嫁にいくんだろう……。おめでとうって言いたいけど、淋しいな、僕」
「道子だって淋しいわ。でもしょうがないでしょ……。キッちゃんがお坊ちゃんだから心配なの。さあ、もう行こう」
「なあんだ、馬鹿にしてらあ。お嫁さんの感傷か」
彼女はつと、木ささげの幹を離れて歩き出した。行灯の黄色い光が、彼女の肩から手先に流れる着物の線をすらりと浮き出させていた。それがなんとなくやつれて見えたのを、私は行灯の紙に描かれた初午の絵とともに鮮やかに思い出した。
それから二ヶ月後に叔母は大阪に嫁いでゆき、この五年の後、老舗であった私の家は潰れる。屋敷は人手に渡った。そんな経験があったせいか、Sは結婚するんだな……と私は直感した。昨日聞いた転勤なんてきっと嘘だと思う。その時、Sは私を振り向き、いぶかしげな顔をした。
「何をぼんやりしてるの、坊や」
彼女は背中に私の視線を感じたらしい。
「ううん、姉さんが今日はばかに女らしく見えるんで、みとれてたとこさ。
「ボンボンのくせに、生意気だぞ」とSはにらむ。
私達の手帳には、形のよい銀杏の二、三葉が選び出されて挟まれた。
「さあ行こう」
Sは先に立って歩き出す。私はまたしても過去の道子叔母との会話を思い出す。あの時と同じような会話。昔あったことの繰り返し。何だか、不吉な予感のようなものが私の背を走る……。
道は、ここからほんとうに山らしい登りとなる。
Posted by 松田まゆみ at 17:28│Comments(0)
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