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山の挽歌-松田白作品集- › 青春挽歌 › 大垂水峠越え(4)

2009年02月06日

大垂水峠越え(4)

 大垂水峠もいつしか過ぎ、道は下りになっていた。相変わらず、枯葉が背中を丸めて私達の足元を転がってゆく。
「姉さん、僕に言いたいことがあるって言ってたね、あれは何?」
「ああ、あのお願い? もういいの、言わなくても」
「でも言ってくれよ。もう二度と聞けなくなるんだから」
「何でもないのよ。じゃ、半分だけ言うわ。私はさっきの涙で私の青春の夢をすっかり洗い流したの。さばさばしたわ。君もM子のこと、さっぱり忘れた方がいいわ。他人の奥さんになっている女(ひと)のことをいつまでも考えるなんて、男らしくないわ。私がいなくなっても、もう死ぬなんてこと考えちゃ駄目よ。これが私のお願い」
 私は急に目の中が熱くなった。
「うん、わかった姉さん。言われるまでもなく、僕は今日限りM子を忘れる。過去の思い出として姉さんもM子も決して忘れられはしないが、僕の将来にとっては有機的な現実的な何物でもないんだもの。僕はさっぱりと忘れる。姉さんはほんとうに僕の再生の恩人だね。お互いに、姉さん、希望を持とう」
「そうね、私達、希望を持とうね。そうだわ、今日の山旅が私達にとってほんとうに有機的であるように、私達は希望を持ち、どんなことが起ころうともそれを持ち続けると約束しない!」
 目を見張ってSは言う。
「賛成。何か困難に突き当たって希望を失いそうになったら、今日を思い出して勇気を出そう。さあゲンマンだ」
 私達は小指を組み合わせた。
「ついでに姉さん、さっき言ったあとの半分のお願いって奴、言ってしまえよ」
「ホホホ、言ってもいいわ、驚かないでよ。それはね、たとえばよ、キッチンが私を玩具(おもちゃ)にして平気で捨ててっちまうくらいの図太さを持って頂戴って言おうと思ったの。それくらいにしても君にはちょうどいいくらいだからよ。でも今は違うわ。キッチンは勇気があるわ。私は負けたと思った。だから、このお願いは取り消しよ」
「なあーんだ、取り消しか……まあいいや。僕は勇気が必要になった時、姉さんの眼を思い出すんだ。そして困難に打ち勝った時、姉さんの眼に接吻するんだ。僕は負けない。どんなことがあっても生き抜いてみせる」
 私達はしっかりと手を握り合った。
 青春の日は終わった。今日限り。明日からは成年の世界に入る。
「さあ、青春の挽歌を歌おう、今日限りなんだ!」
 私達の歌声が誰もいない街道を流れてゆく。道には霜が降りてきた。路傍には、真白な野地菊が群がり咲いていた。それは紗を通して見る花のように形も定かには見分けられなかった。
 強い風が吹いてきた。立木の梢を鳴らして冷たい風が吹きまくってきた。寒い北風の季節に入る前ぶれのように、風よ吹け、もっともっと吹き荒べ!
 私達の青春を吹き散らして風よ吹き荒べ。風が強ければ強いほど、私達の前途への希望は、期待は、大きく膨らむのだ。


附記

 それから三日後、結婚式のために式根島へ帰るSを見送って、私は東京湾に行った。木枯らしの吹き荒ぶ日で、私はSと堅い別れの握手をした。
「姉さん、幸福を祈るよ」
「キッチン、約束忘れないわよ」
 遠ざかる菊丸の甲板の上で、Sはハンカチを振っていた。私のハンカチだった。いつまでもいつまでも、私はじっと立ち尽くしていた。不覚にも涙が湧いてきて仕方がなかった。


*    *    *


 石老山の山旅を書いていたら、いつの間にかSとの別離が主題になってしまった。書き始めた以上、私は自分の青春の記録を全部書き残しておく気になった。
「大島とSのこと」
「M子」
 まず、この二つの記録をつづろう。

(「青春挽歌」完)


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Posted by 松田まゆみ at 13:23│Comments(0)青春挽歌
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