第六日、初めてのスキーツアー(1)

松田まゆみ

2009年01月12日 10:17

 素晴らしく晴れ上がった空だった。パラパラと霧氷の落ちる林の中を、湯ノ湖を左手に見下ろして私達はスキーを滑らせた。エストビーミックスのシュタイグワックス(登降両用ワックス)が思いのほかよく効いて、用意してきた例の縄のシールのご厄介にならないですんだ。山王回りのスキーコースには、強い登りはない。夏、このコースを歩いたことのある私達は、行く手に何の不安も感じなかった。シュプールは私達のものだけだった。
「やっぱり、ツアーはいいなあ」とSは言う。確かにリフトのないゲレンデの、ただ歩いて登っては滑り、歩いて登っては滑りのエレベータースキーに比べれば、ツアーは天国を感じさせたのである。
 刈込湖に着いたのは十一時頃だったろうか。湖面は氷の上を雪に覆われ、柔らかい日差しを一面に跳ね返し、思ったより明るい風景が展開されていた。
「少し早いけど飯にしようか」
 ほとんど同時に言い出して、私達はスキーを脱いだ。雪の中に二本のストックを突っ立て、手皮にスキーのテールを差し込んで、スキーの裏面を太陽に向けた。私は雪に穴を掘り、Sが集めてきた枯れ枝の太い奴を底に敷き、その上に細い枝を盛り上げた。メタを二、三個枝の中に押し込んで火をつけると、アルコール性の匂いが立ち昇り、やがてパチパチと枝が燃え上がった。雪の山歩きで覚えた焚火の方法である。
 ザックを尻に敷き弁当を開く。弁当は新聞紙で三重にも四重にも包んであって、まだ生暖かかった。宿のオヤジの心遣いが嬉しかった。山歩きの経験者か、狩人か、樵(きこり)だったのだろうか。
 山王帽子から、オロクラ峠に続く稜線が目の前の青空を限っている。この辺は奥日光には珍しく樹林が疎だ。この山峡の平和な日溜まりに、ささやかな昼食が始められた。焚火の水色の煙が空に溶けてゆく。
「明日一日であさっては東京か・・・・・・雑煮が食いたくなったぜ」
 里心がついたSが言う。
「そういえば一日に食っただけだな、餅は。帰ったらしこたま食ってやろう。汁粉も食いたいな」
 私も雑煮が食いたくなって言った。
 風のないこの日溜りは小春日のように暖かだった。焚火は底の雪を溶かし、だんだん雪の中に沈んでいった。人気(ひとけ)の無いこの山峡の雪の林の中に、こんな静かな一刻が持てるなんて・・・・・・私達は黙ってツアーの楽しさを噛みしめた。
 今頃おふくろは何をしているのだろう。妹は晴着を着て、友達とカルタ会でもやっているかな、とふと東京のことが思い出された。やっぱり里心がついてきたのだろうか。
「そろそろ出発(でっぱつ)しようか」
 立ち上がったSが、大きなあくびをしながら言った。私もゆっくり立ち上がった。焚火の穴に雪を詰め込んで、さあ、出発だ。
 小さな峠を越すと明るい涸沼(かれぬま)、そこから山王峠へは苦もなく登り切った。立ち枯れた唐檜(とうひ)が散在する山王峠は、戦場ヶ原がひと目で見渡された。だだっ広い原にはところどころ針葉樹の黒い林が点在し、原をとりまく三ッ岳、太郎、大真名、小真名、男体、女峰のお馴染みのご面相がずらりと居並んでいる。足元の白い原のただ中に、小さくひとかたまり屋根を寄せ合っているのは光徳沼の牧舎だろう。ここからは私達にも組しやすく見えるゆるい斜面を、光徳沼めがけて降りるだけだ。牧場には冷たい牛乳が待っている。昨日習い覚えたはずの全制動回転にものをいわせよう。
 ところがそうはいかなかった。夏はトラックの通る道だったが、道の真中の雪は人とスキーによってかなり踏み固められていたので道は樋(とい)状となり、踏み固めた樋の底の雪は午後三時の冬日にもう凍りはじめて、スキーはその中をカラカラと音をたてて、かなりのスピードですっ飛んだ。スピードの抑制は斜滑降を水平近くにとれなんてヨーシの先生は言っていたが、道ではそのようなことはできない。
「えい、しょうがねえ、制動滑降だ」と、スキーを八の字に開きっ放しで、道の真中をカラカラとすっ飛んだ。曲がり角は外足荷重もクソもなく、道なりにスキーは自然に曲がってくれたが、加速度だけは情容赦なく加わってゆく。ジグザグの道で上を見ると、後発のSの姿が見える。奴さんも両足を突っ張って、必死にスピードを殺そうと頑張っているようだ。
 足も腰も疲れてきたが、このスピードでどうやって無事に全制動ストップをやるかが問題だ。これじゃ神経がもたない、どこかで転んで休もうかと雪の柔らかそうな所を物色しながら、曲がり角を道まかせに曲がった途端である。目の前の道の真中に、黒い人影がしゃがみこんでいるのが目に入った。

関連記事