地獄(1)

松田まゆみ

2009年01月22日 15:02

 傾いた陽に黒い影を落として、石畳の道を先に立って登っていくのはSである。黒地に白の大柄な飛白(かすり)を着て、蜂のようにくびれた胴に赤い三尺を無造作に締めている。「帯なんか、苦しくって」という彼女なのだが、おかっぱの少女が締める三尺が、ちっとも不自然には見えなかった。むしろ奇妙ななまめかしさが私には感じられた。それはSの外人並みの腰の線や、そのあたりまで垂れ下がった長い髪のせいだったかもしれない。私はふと、彼女には異国人の血が流れているのではないか?とさえ思った。彼女の肘から曲げられた腕には籐で編んだ大きな篭が提げられていたが、何が入っているのか私は聞きもしなかった。
 私は半袖のシャツに紺のズボンという平凡な服装だったが、手には不相応に大きなランタンをぶら提げていた。それは船乗りが使う時代物の大型ランタンだった。どんな嵐の中でも大丈夫という代物だけあって、ホヤのガラスは太い針金の編目で保護されていて、はなはだしく重かった。
「今日は夕焼けを見て帰りが暗くなるから、懐中電灯を持っていこう」と言うSに、私はランタンを持っていこうと提案したのだ。土間の梁に下げられて埃だらけになっていたのを、私が奇麗に掃除したものだ。
「そんなもので気分出そうっての? ロマンチストさん!」と冷やかされたが、「好きだねえ、重いのにご苦労さん」と、反対はしなかった。私は橙色のその柔らかい明かりが好きだ。大きなこのランタンは、広い範囲を柔らく照らすに違いなかった。
 集落を抜けると、椿の荘園の中を行く。すでに花は落ち、濃緑の葉の間に薄い緑の実を覗かせていた。下枝を伐り払われた灰色の滑らかな木肌が、整然と立ち並んでいる。葉陰で首を傾ける四十雀(しじゅうから)が可愛かった。
 道はやがて雑木林に入り、紫陽花(あじさい)の花が目立つようになる。淡青の手毬(てまり)花が陽の傾いた林の中に幾つも浮かびあがった。その中にひときわ白く咲き匂うのは、トベラの花である。それはところどころ細くなった道をふさぎ、花に触れまいと重いランタンを持ち替える手が忙しい。でもその細かい花びらは、道に散り敷いていた。トベラの花の匂いは悪臭と感じる人がいるかもしれない。しかし、仄(ほの)かに匂う時のそれが私は好きだ。
 島ではこの木をシッチリバッチリの木と呼ぶ。この木を燃やすときの音からきたものだという。お正月にトベラの枝を燃やして悪魔払いをするというのも、燃える時の臭いで悪魔を追い払うのだろう。私は島の人々の生活がにじみ出たその名に、一層の親しみを感じた。
 松の梢を渡る風の音だったろうか、海蝕崖を洗う波の音だったろうか、遠くに絶え間ないざわめきがあった。ランタンは重かったが、Sと歩くこの道が、私にはこの上もなく楽しかった。Sはしかし、私の気持ちも知らぬげに足を速めた。
 間もなく道は海蝕崖の上に出て、途絶えたように思われた。Sは道を離れ、潅木を押し分けて小高い丘を目指して登っていく。そこは海蝕崖の突端で、背の低いトベラやツツジの点在する小さな草原になっていた。眼下に太平洋、そして背後には黒松の林が続いていた。Sは崖の縁に立つと、目の下の海際や海中の岩礁に牙のように突っ立つ幾つかの岩塔を指差して言った。
「あれがG岩、こっちがN岩、向こうがM湾よ。もうじき陽が沈むわ……。ここの夕焼け素晴らしいの。私、大好き」
 M湾は海蝕崖に囲まれた円い弧を描いた大きな湾で、昔の噴火口の跡だという。大小の岩礁や岩塔が顔を出し、海の青一色は、そこだけが波に噛まれて白く泡だっていた。
 私達はSの手製のデセールをボリボリかじりながら夕映えを待った。
 夕照(せきしょう)は美しく、そして儚(はかな)いものだ。その儚さゆえに美しいのかもしれない。空にピンクが刷かれると水平性が金色に輝き、波がラメの布地を織ると見る間に大気は真紅に染まる。海風に乱れる髪を掻き上げるSの指を、腕を赤々と照らして、一刻(ひととき)の休みもなく紫から青黒に沈潜していく。
 私達は声もなく息をつめ、その短い時刻(とき)を追う。惜しむ暇もない、その時刻を追う。そしていつか、黄昏が風景に忍び寄る。

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