山の挽歌-松田白作品集- › 晩照 › 第二幕
2010年03月25日
第二幕
コブ尾根の一部。岩壁上のテラス。霧の飛ぶ音。霧に閉じ込められて休んでいる三人のパーティー。その中の一人、秋本の歌うヨーデルの歌声、霧の中に響く。
音楽(ロンサムヨーデラーの歌。歌詞略。伴奏なし。なるべく英語で)
歌声、杉の声に中断される。
杉 おい、ガスが薄れはじめるぞっ。
秋本 そうさ、俺が歌えば晴れるんだ。
杉 何言ってやがる。俺の日頃の行いがいいからさ。
路子 ストップ。誰かしら、今朝私をマスコット代わりに連れてってやるって言った人・・・・・・マスコットにテルモスの紅茶飲ましてごらんなさい。たちまち晴れるわよ。
秋本 おい杉、このマスコットまるで人間みたいにお茶ばっかり飲むぜ。薄気味悪いから捨てて逃げようか・・・・・・。
杉 そうだな。バチが当たらないようにテルモスを一本お供えしてな。ハハハ・・・・・・。
路子 いやーん・・・・・・いじわる!
音楽(明るい日差しを見せて)
秋本 梓川が見えてくるぞ・・・・・・おいおいこのテラス・・・・・・うわーっ、すごく下が削げてるぞ、オダブツオダブツ。
路子 ほんとにすごいわね。ガスで見えなかったけど・・・・・・。
杉 さあ、行こう。縦走路までもうすぐだ。
秋本 杉、少しルートからはずれているな・・・・・・。
杉 うん。尾根は向こうだ。
秋本 そうだな。あの上の壁をトラバースするか・・・・・・。
杉 ちょっとカブってるな・・・・・・。
秋本 あのリスが利用できる。俺がトップをやる。路ちゃん、いいだろ・・・・・・。
路子 私にもたまにはやらせてよ、トップ。
杉 だめだめ、尾根に出たら遊ばせてやるよ。
秋本 ツウピッチ……路ちゃんにはその上のスタンスでビレイしてもらうか・・・・・・じゃあ行くぞっ。
路子 いいわ、セルフビレイするわ。
岩を攀じる鋲靴の音。ザイルを繰り出す気配。しばし・・・・・・突然落石の音。二つ三つ、つられてガラガラと落石の音。
音楽(烈しく、悲劇を暗示して)
路子 危ないっ、秋本さん!
秋本 ああっ!
しばらく落石の音続き、遠ざかって消える。後に静けさが残る。
音楽(低音、不気味に)
路子 杉さん、助けて、秋本さんがっ。秋、秋本さーん!
杉 路ちゃん、墜ちたのか、秋本っ!
路子 墜ちたの。いえ、止まってるわ。動かない。私の身体も・・・・・・動けない。
杉 今行く、頑張ってくれ。
忙しく岩を登る鋲靴の音、息切れ。
杉 どうしたっ、路ちゃん何ともないな・・・・・・秋本ーっ、秋本ーっ、返事しろ。
秋本 (下方から小さく苦しそうに)大丈夫だ・・・・・・だが足が動かない。
杉 そうか、今行く。じっとしてろっ。
音楽(静かに悲痛に続き、急に烈しく盛り上がる。風の音に交じり、風の音だけに変わる)
岩穴の中。外で風の音が烈しい。
秋本 (小声、あたりをはばかって)・・・・・・杉、起きてるか?
杉 起きてる。何だ? ・・・・・・痛むのか?
秋本 しびれている。あまり痛くはない。杉・・・・・・俺は死なないらしいな・・・・・・おまえのおかげだよ。
杉 馬鹿! よけいな心配するな。しかしいい所に岩穴があったな。さっきはさすがの俺も音をあげるところだったぜ。
秋本 うん、よかった。・・・・・・杉、路ちゃん起きてるか?
杉 寝てる、安心しろ。
秋本 杉、俺の足は挫(くじ)けた・・・・・・もう山は駄目だな。
杉 そんなことがあるか。すぐ治るさ、そんな野蛮な足・・・・・・。
秋本 いや、俺にはわかる。杉、路ちゃんを頼みたい・・・・・・。
杉 何のことだ。ちっとも心配はない。俺が明るくなったら仲間を呼んできてやる。
秋本 そうじゃない。おまえ、路ちゃんと結婚してくれないか?
杉 冗談じゃないぜ、秋本。おまえら親が許した仲なんだろう・・・・・・。
秋本 内々はな。だが俺は落伍した。こんな足じゃ路ちゃんが可哀そうだ。おまえは路ちゃん嫌いじゃないんだろう。おまえなら路ちゃんを幸福にできる。ほかの奴にはやりたくないんだ。路ちゃんもおまえが好きなんだ。
杉 弱気になるな、馬鹿。そんなこと言って後悔するなよ。俺だって路ちゃん好きだけど・・・・・・おまえからとる気はないよ。俺は赤紙を待っている。戦争でどうなるか・・・・・・たぶん死ぬんだ。俺の方こそ、路ちゃんをおまえに頼みたい・・・・・・幸福になれよ。
秋本 そうか・・・・・・俺はもう戦場にも行けないのか!
音楽(悲痛に、心の中に忍び込むように)
秋本 杉、路ちゃん少し変だ。みてやってくれ・・・・・・。
杉 悪寒がするらしいぞ。体ががたがた震えている。
秋本 抱いてやってくれ。温めなければ風邪をひく。
杉 秋本、そいつはおまえの役だ。
秋本 馬鹿。こんな身体で何ができる。頼む、そんな場合じゃない。
杉 いいのか、秋本・・・・・・。
音楽(悲劇的に盛り上がって止む)
杉 私は路子を一晩中抱いていた。赤ん坊のように。路子の悪寒は熱が出るとともに止まったが、頬は真赤に火照り、唇は乾いていた。私は何度か彼女の額に私の額を押し当て、冷やした。自責にかられながらも、彼女の身体を強く抱きしめた。明け方、彼女の熱はほとんど引いていた。ほっとして私は煙草に火をつけた。路子は私を見て、突然「私にも喫(す)わせて」と言った。路子は私の煙草を喫った。
音楽(懐古の情感をたたえて静かに)
音楽(ロンサムヨーデラーの歌。歌詞略。伴奏なし。なるべく英語で)
歌声、杉の声に中断される。
杉 おい、ガスが薄れはじめるぞっ。
秋本 そうさ、俺が歌えば晴れるんだ。
杉 何言ってやがる。俺の日頃の行いがいいからさ。
路子 ストップ。誰かしら、今朝私をマスコット代わりに連れてってやるって言った人・・・・・・マスコットにテルモスの紅茶飲ましてごらんなさい。たちまち晴れるわよ。
秋本 おい杉、このマスコットまるで人間みたいにお茶ばっかり飲むぜ。薄気味悪いから捨てて逃げようか・・・・・・。
杉 そうだな。バチが当たらないようにテルモスを一本お供えしてな。ハハハ・・・・・・。
路子 いやーん・・・・・・いじわる!
音楽(明るい日差しを見せて)
秋本 梓川が見えてくるぞ・・・・・・おいおいこのテラス・・・・・・うわーっ、すごく下が削げてるぞ、オダブツオダブツ。
路子 ほんとにすごいわね。ガスで見えなかったけど・・・・・・。
杉 さあ、行こう。縦走路までもうすぐだ。
秋本 杉、少しルートからはずれているな・・・・・・。
杉 うん。尾根は向こうだ。
秋本 そうだな。あの上の壁をトラバースするか・・・・・・。
杉 ちょっとカブってるな・・・・・・。
秋本 あのリスが利用できる。俺がトップをやる。路ちゃん、いいだろ・・・・・・。
路子 私にもたまにはやらせてよ、トップ。
杉 だめだめ、尾根に出たら遊ばせてやるよ。
秋本 ツウピッチ……路ちゃんにはその上のスタンスでビレイしてもらうか・・・・・・じゃあ行くぞっ。
路子 いいわ、セルフビレイするわ。
岩を攀じる鋲靴の音。ザイルを繰り出す気配。しばし・・・・・・突然落石の音。二つ三つ、つられてガラガラと落石の音。
音楽(烈しく、悲劇を暗示して)
路子 危ないっ、秋本さん!
秋本 ああっ!
しばらく落石の音続き、遠ざかって消える。後に静けさが残る。
音楽(低音、不気味に)
路子 杉さん、助けて、秋本さんがっ。秋、秋本さーん!
杉 路ちゃん、墜ちたのか、秋本っ!
路子 墜ちたの。いえ、止まってるわ。動かない。私の身体も・・・・・・動けない。
杉 今行く、頑張ってくれ。
忙しく岩を登る鋲靴の音、息切れ。
杉 どうしたっ、路ちゃん何ともないな・・・・・・秋本ーっ、秋本ーっ、返事しろ。
秋本 (下方から小さく苦しそうに)大丈夫だ・・・・・・だが足が動かない。
杉 そうか、今行く。じっとしてろっ。
音楽(静かに悲痛に続き、急に烈しく盛り上がる。風の音に交じり、風の音だけに変わる)
岩穴の中。外で風の音が烈しい。
秋本 (小声、あたりをはばかって)・・・・・・杉、起きてるか?
杉 起きてる。何だ? ・・・・・・痛むのか?
秋本 しびれている。あまり痛くはない。杉・・・・・・俺は死なないらしいな・・・・・・おまえのおかげだよ。
杉 馬鹿! よけいな心配するな。しかしいい所に岩穴があったな。さっきはさすがの俺も音をあげるところだったぜ。
秋本 うん、よかった。・・・・・・杉、路ちゃん起きてるか?
杉 寝てる、安心しろ。
秋本 杉、俺の足は挫(くじ)けた・・・・・・もう山は駄目だな。
杉 そんなことがあるか。すぐ治るさ、そんな野蛮な足・・・・・・。
秋本 いや、俺にはわかる。杉、路ちゃんを頼みたい・・・・・・。
杉 何のことだ。ちっとも心配はない。俺が明るくなったら仲間を呼んできてやる。
秋本 そうじゃない。おまえ、路ちゃんと結婚してくれないか?
杉 冗談じゃないぜ、秋本。おまえら親が許した仲なんだろう・・・・・・。
秋本 内々はな。だが俺は落伍した。こんな足じゃ路ちゃんが可哀そうだ。おまえは路ちゃん嫌いじゃないんだろう。おまえなら路ちゃんを幸福にできる。ほかの奴にはやりたくないんだ。路ちゃんもおまえが好きなんだ。
杉 弱気になるな、馬鹿。そんなこと言って後悔するなよ。俺だって路ちゃん好きだけど・・・・・・おまえからとる気はないよ。俺は赤紙を待っている。戦争でどうなるか・・・・・・たぶん死ぬんだ。俺の方こそ、路ちゃんをおまえに頼みたい・・・・・・幸福になれよ。
秋本 そうか・・・・・・俺はもう戦場にも行けないのか!
音楽(悲痛に、心の中に忍び込むように)
秋本 杉、路ちゃん少し変だ。みてやってくれ・・・・・・。
杉 悪寒がするらしいぞ。体ががたがた震えている。
秋本 抱いてやってくれ。温めなければ風邪をひく。
杉 秋本、そいつはおまえの役だ。
秋本 馬鹿。こんな身体で何ができる。頼む、そんな場合じゃない。
杉 いいのか、秋本・・・・・・。
音楽(悲劇的に盛り上がって止む)
杉 私は路子を一晩中抱いていた。赤ん坊のように。路子の悪寒は熱が出るとともに止まったが、頬は真赤に火照り、唇は乾いていた。私は何度か彼女の額に私の額を押し当て、冷やした。自責にかられながらも、彼女の身体を強く抱きしめた。明け方、彼女の熱はほとんど引いていた。ほっとして私は煙草に火をつけた。路子は私を見て、突然「私にも喫(す)わせて」と言った。路子は私の煙草を喫った。
音楽(懐古の情感をたたえて静かに)
Posted by 松田まゆみ at 13:56│Comments(0)
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