さぽろぐ

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2009年03月01日

山頂より

 山頂付近の火山岩にてんとう虫の多いのは不思議な気がする。火山の爆発も知らないで、心臓の強い虫だなと思う。しかし昆虫なんて案外感がよいから、爆発が未然にわかって飛び去るかもしれない。それならば僕らも安心して可なりである。けれどもこいつら何を食って生きているのかと、よけいな心配をしながら一ダースばかり採集してポケットに入れた。即席マスコットである。てんとう虫が逃げ出したら僕らも一目散、雲を霞の決心である。
 知らぬが仏でここまで来たけれど、ものすごい噴火口に口数も少なく、ただただおもむろに感心しあって早々に山を下る。そのくせ皆あまり怖そうな顔つきもしていない。Mさんは東京の人間の無神経さにいささかあきれておられたようだ。しかし皆内心びくついていて、山頂の展望なんて空と雲と煙だけしが思い出せない。
 残雪の痕跡を杖で突いて嬉しがっている人がいる。本岳と火口壁の鞍部に腰を下ろし、雄大な景観にかわるがわる感嘆する。ここまで来ればもうお護りで鼻をかんでもよいなんて言う人もある。と言うそばから小さな地震を感じる。皆一瞬お喋りをやめて顔を見合わせる。お護りさまさまである。
 ここで時間の都合上、Sさんとお別れした。ここから僕らは山裾に見える鬼押出の溶岩塊めがけて、道のない山腹の急斜面を下るのである。
 見はるかす眼下一千メートルの彼方、軽井沢の緑の高原を隔て、鼻曲(はなまがり)山、浅間隠山、角落(つのおとし)山、榛名(はるな)山、遠く草津白根は雲に隠れて煙っている。まさに上州の山を見下ろしている。Mさんの威張るのもむべなるかなである。この地球から蒼穹(そうきゅう)めがけて盛り上がった雄大至極な斜面を、裾野めがけてぶっとばす。これだから山はやめられない。下界の人間よザマーミロである。都会の蛆虫(うじむし)どもよ、その存在こそ疑われてあれ。
 空は青く、陽は強い。さえぎる一物もない急斜面を、歌の翼に乗って下る。
 皆、山窩(さんか)の申し子みたいにいとも強引に落下する。しかし何といっても下りとなると重量のある人にはかなわない。加速度と重量との関係は、物理学を信用しないではいられなくなる。僕は不利を自覚した!
 二時間の後、僕らは山麓の砂礫地帯を歩いていた。恐ろしい火山弾の爆撃跡、無惨な崩壊地、地表の裂口、雪崩の痕跡等々の不安定なこの土地の表情に接し、しかも灼ける火山にしがみついている背の低い植物の群落とやせこけた蘚苔類の生存力を思う時、僕らは自然の破壊力と創造力の偉大さをまざまざと胸底に焼きつけられる。人間とその生活に一脈通じるものもあるのを感じ、黙然と歩き続けた。
 山裾に下りつき、溶岩下の沮洳(そじょ)地から返り見れば、ゆうゆうと白煙を中天に吐き続ける浅間の何と雄毅(ゆうき)なる姿か! 無惨に立ち枯れた唐松の後ろに大空めがけて駆け上がるスカイラインの迫力の素晴らしさよ! それは男性の燃えるような意力のシンボルと形容しようか。僕はかくまで印象的な浅間を、まだ見たことがなかった。もちろんこれからもおそらく見られないだろう。
 軽井沢から鹿沢へ通ずる自動車道路は、夏の太陽に灼けていた。張り切ったKさんはMさんと溶岩樹形を見に飛び歩く。Yさんは軽井沢行のバスを恨めしそうに見送っている。僕はバスの女車掌の溶岩樹形の説明らしい声をとぎれとぎれに背中に聞いて、赤褐色に灼けて熱い溶岩に下腹を押し当てて温めた。汗が体へしみ出て気持ちがいい。あたりは栄養不良の植物がほんの少し地にへばりついているだけで、荒涼たる静寂の姿だ。僕は口中に歌を口ずさんだ。声はまわりの熱い空気を振動させて、高原に広がってゆく。空虚だ! 僕の脳髄はしびれるように麻痺しながら何ともいえない陶酔感に浸る。一時間もこうしていたら化石になりそうだ。
 しばらくの後、僕らは鬼押出までの道を汗だらけになって歩かねばならなかった。しかし同じ暑さでも東京のように湿気が多くないからわりあいに気持ちがいい。
 登山仕度なしで来られたMさんの足袋と靴下と草鞋を履いた、ラクダのそれのような珍妙な足つきはちょっと嬉しい光景である。
 鬼押出の岩窟ホテルで全身にしみとおるようなシトロンを飲んだ。どうも人間様は感情の動物であるらしい。時と場合でこのシトロンは旨いともまずいとも言う。僕がシトロン屋になったら「このシトロン、疲れたとき以外飲むべからず」と記してやろう。
 高原は午後四時の陽が、蜿々(えんえん)と浅間山頂に続く溶岩塊に乱反射してまぶしい。窓から下を見やると、テラスに並んだ白樺の椅子で郵便屋さんが居眠りをしている。無心な赤子のような顔の半ばをビーチパラソルの日陰が覆っている。のんびりしたものだ。白い陽を反射している白樺のメニューは日本字と英字が併用され、エキゾチックなアトモスフェアーを与える。甘酸っぱい桜桃を静かに噛みしめると、静寂がばかに身にしみる。ときおりホテルのウェートレス達の笑い声が静けさをやぶる。山行も終わりに近づいた。
 高原の林を縫って浅間の方向に遠雷を聞きつつ、北軽井沢の駅に急ぐ。風は湿気を帯びて涼しく、夕立の近いことを思わせる。養狐園、美しい流れ、白樺とまがう別荘の白い壁、鱒の養魚池。そこを僕らは少し語らい、笑いさざめき、ちょっと黙し、小声に歌い、かつ喜びあふれて歩くのだ。僕はシューベルトの「鱒」を口笛で吹いてみて、初めてこの曲の美しさを知った。シューベルトもこんな環境でこの曲を作ったのだろう。
 駅の手前でとうとう夕立に追いつかれた。油紙をかぶって駅へ飛び込む。空に雲の動きが速い。雨はこの高原の閑駅を取り囲んで、銀のデシンのようにきらびやかだ。駅のベンチに腰を下ろし、身はこころよい疲労に酔い、しみじみと雨を見る。土地の人らしい二人が小声でぼそぼそと話をしている。駄句を作る。

  問い語り 駅をとりまく 夏の雨

 さて、待てど暮らせど電車は来ない。停電らしい。何しろ次の列車に乗り遅れると、東京着は明朝になるのだ。夏の雨称賛どころではなく、やきもきしはじめる。Kさんは二度ばかり駅長に談判に行く。隣りにいたやはり被害者の青年二人は「心臓が強いなあ」と小声で感嘆し合い、小やみになった空を見ている。のんきなものだ。
 それでも二十数分遅延して、スポーツランドのそれにそっくりな電車が来た。車中、夕立はまた浩然と降りはじめた。
 背の高い車掌は、強引に次の列車に接続させるつもりらしい。車の後部で形相すさまじくブレーキをあやつる。Mさんに、先年この鉄道は脱線してだいぶ死者を出したのだとおどかされる。Kさんの顔にはそろそろ後悔の色が現れる。トロッコのような電車は精一杯のスピードであえぎ駆けるのだが、僕らはまだ若く生命が惜しいのである。それにキーキーときしむブレーキの音はどうだ。レールの減り方だって国策に沿わないじゃないかと言いたくなる。
 車窓には霧にけむる緑の起伏が後ろに走る。霧の薄れ目に濃緑の山が顔を出し、またすぐ隠れる。滝が現れたかと思うとすぐ音ばかりが耳に残る。電車といい景色といいまた車中の人物といい、皆童話的だ。ユーモラスな離れ山を過ぎると、頭を雲に隠して模糊たる裾野をひく浅間山をわずかにそれと指摘し得た。雄大だ。僕はいつまでも黙してじっと見つめていた。僕らはあの山を越えてきたのだ。それも今日。愉快であった今日の一日に対し神に感謝を捧げる以外、今は何を語り得よう。
 電車はスピードをゆるめた。
 さらば今日の日、さらば思い出の山よ。

(1939年に書かれた山行記)
  

Posted by 松田まゆみ at 10:15Comments(0)浅間山行

2009年03月02日

谷川岳に登る(1)

 土合(どあい)のプラットホームは雨に濡れて、駅燈の光をなめらかに反射している。仰げば南方に星の光が美しい。谷川岳の方面は模糊として薄闇に雨のみが光る。寒い。霧雨の中を土合山の家にて小憩する。朝食をしたため足袋に草鞋をうがち、明るくなった山峡を西黒沢に向かう。五時十五分、星は天青に溶解し去り、秋草はしっとりと露を置いて足裏は冷え冷えと心地よい。湯桧曽(ゆびそ)川は昨日の雨でいつもより水量を増していて、この分では西黒沢も歩きにくかろうと思う。猫の額のような土合スキー場を横切れば、もう西黒沢の河原である。
 小糠のような霧雨の中を沢沿いに登りはじめる。間もなく蛇門の滝が眼前に爽快に落下して、夜行の寝ぼけまなこを見晴らせ、いくらか頭がはっきりしてくる。歩きづらいゴーロをあちこちと飛び移りながら幾回か流れを渡りかえすと第二の滝、白鷺の滝が夜来増量した水量を奔騰(ほんとう)させている。この谷で僕の一番好きな滝である。その近代的な優美さは白鷺の清楚を彷彿させる。以前来た時はここで弁当を開き「滝の傍らにて」を合唱したものだった。あのとき滝の音はもちろん不協和音で、はじめはうるさいほどであったが、終わりには歌声と滝声との間に不思議な調和を見出し、妙に嬉しかったことを覚えている。
 右岸を巻いて遡行を続ける。両岸の濃い緑を背に、蜘蛛の糸をちぎったような繊細な霧雨が谷を吹き下ろす風にあおられて舞い狂う。僕らの頭上は青空だが、北方は薄雲が低く垂れている。田尻沢沿いの天神峠への新道を見送れば、谷幅はいくぶん広くなり五段の滝(山白の滝)の下に出る。去る七月には白鷺の滝を直登したので今日は五段の滝を直登することとする。この滝は左岸をへずっても案外容易に登れそうだが、右岸から苦もなく滝上に出られる。
 このあたりから第四の滝にかけてが西黒沢の谷すじで最も美しい部分ではないだろうか。谷幅が次第に細まるとともに、両岸の林相も変化する。山毛欅(ぶな)、水楢のみずみずしい緑の中に、岳樺が点々と交じる。その梢に薄いヴェールを淡彩な日本絵具で染めわけるような虹が、消えんとして消えやらめ影を残す。それはとらえどころのない美しさを持つ。
 沢水は花崗斑岩の広いなめらかな岩盤上を、一枚のセロファンで覆ったような美しい滑(なめ)を形成して急流する。ピッケルの突端を水流に入れれば、旋盤に飛散する鉄くずにように、あるいは回転鋸に引かれる木材のおがくずのように、水は叫び声をあげんばかりに空中に小さな放物線を描く。黄つりふねがその優美な花姿を滑の鏡に映して、静かに自らの美しさを誇っている。
 僕はいつも自分の歩調で進んだが、太ったIさんは体重の運搬に骨が折れるらしい。十四の滝の右岸をへずると、天神峠から薬師岳に続く尾根とこれから登ろうとする西黒尾根が、黒い岩に緑をべったりとつけて眼前に並立する。ここより十数分で地図のガレ記号の最下部、ガレのデブリに到着する。巨大な斧で断ち割ったような磊々(らいらい)たる岩石は、あの谷川岳東南面の岩壁の雪崩、風雨等による崩壊の堆積であろう。ここで一行三人は熱源の補給を行なう。
 霧雨はまだ降り続いているが、今日の天候には確信がある。ザンゲ沢に入り、谷すじ最後のケルンを見送ると、狭い空沢を尾根めがけて一気に直登する。西黒沢口で一番いやなのはこの登りである。両側にこんもり茂った草の中を四、五尺幅の褐色のガレはちょうど長大なエスカレーターのように尾根めがけて這い上っている。しかし同じガレでも南アルプスに見るような砂岩のものと異なり、花崗岩のガレは登りよい。標高差は一歩登るごとに周囲の景観を変じさせ、僕らの労苦をゆっくりとしかも確実に報いてくれる。頭上は明るくなり、霧雨は日光の中にとまどいして濃紫のとりかぶとの花のまわりを低回する。振り返れば、なつかしい赤城山のあたりの青空は雲を追って、見ている間にその領域を広げてゆく。沢も終わりに近い右手のロームの滑りやすい急斜をかき登れば、尾根はすぐ目の前にある。尾根直下の花崗斑岩の大塊に、風をさけて二人の仲間を待つ。
 南から東に開ける青空の下、過ぎし日その山懐に抱かれたなつかしい山々を見る。榛名(はるな)、吾妻(あがつま)、赤城、日光白根、武尊(ほたか)、そのひとつひとつに思い出が湧く。十年前、初めて大菩薩峠へ登った時、遥かな雲際に白銀に輝く北アルプスを眺め、やがてはあの山もと心に決したのがやみつきになり、より高きに憧れる心を募らせた自分である。現在(いま)に切実に人の世の孤独を知るにつれ、高きも低きも、峻険も温容も、自分の心を喜ばせ自分の心を慰める唯一と思っている。
 霧雨は晴れた。尾根上に出れば、いつ見ても印象的なマチガ沢の左岸の岩壁の上を、霧は白く濃く巻いて風とともに去る。相当に風が強い。じっとしていると寒くてやりきれない。ここからは急勾配の尾根をたどる。トマの耳は、霧に隠されて見えない。湯桧曽川を隔て、わずかに白毛門の頭、茂倉山の緑のピラミッドが見えるのみ。笠、朝日、七ッ小屋方面はぜんぜん見えない。遭難三氏の碑の傍らを目礼して過ぎ、ゆっくりと歩を運ぶ。この碑の直前の突起あたりから、岩質は接触変質岩となるらしい。ホーンフィルスの黒ぐろとした肌を見る。
 ザンゲ岩を頭上に仰げば、登行も終わりに近い。ザンゲ沢とマチガ沢の枝沢の尽きるところの尾根は右方に曲がり、ゆるやかな高原となる。熊笹のシーツは遥かに天神尾根に向かい、ゆうゆうと流れ落ちている。りんごを頬張りながら友を待つ。霧は相変わらず山を這い回っている。その晴れ間をねらって爼嵒(まないたぐら)の岩壁を一枚撮影する。
 ここから頂上は二十分とはかからない。岳樺がつきれば這松、石楠花(しゃくなげ)が現れ、急登して三角点に出る。一面の霧の中で、マチガ沢から登ってきたという先客に会う。三角点直下の日溜りで弁当を食いつつ、霧の晴れるのを待つ。
  
タグ :谷川岳


Posted by 松田まゆみ at 12:47Comments(0)谷川岳に登る

2009年03月03日

谷川岳に登る(2)

 暖かい。尾根ひとつ背にすれば冬と夏とまでいかなくても、早春と晩秋くらいの気温の差がある。僕のすぐ前の粗面アプライトの岩盤上に、一匹の爬虫類が日なたぼっこしている。その灰色の背はほとんど動かないが、柔らかそうな腹と咽喉は呼吸するたびに静かに広がったり縮んだりする。トカゲといえば不気味なものだが、よく見ると何とも美しい目をしているではないか。その黒曜石よりも濃い生き生きとした眼球は、僕が生まれて以来、人間の目には見つけられなかった美しさだ。僕は一日中この小動物と遊んでいたい気がした。が、彼女の姿をカメラに収めるや、まだ動かないでいるその愛らしい背に石塊を投げつける。人間の心理状態なんておかしなものである。トカゲは叫び声もたてずに熊笹の茂みに石とともに落下し、僕の手には弾力ある手応えが残ってしばらく消滅しなかった。
 さて、霧は晴れた。ここで「いいなあ」という賛嘆詞の十数回目を口に出す。事実、万太郎谷の緑の傾斜、オジカ沢の頭に続く鋼鉄のような尾根、粗面アプライトの岩肌を露出した沖の耳の尖峰、それに続く一ノ倉、茂倉の尾根は幾回見てもあきない。確かに、東京近辺における最もアルプス的な景観である。這松と石楠花とすでに紅葉したどうだんの密生した尾根を、沖の耳に行く。最高点から少し下った這松の中の小さな祠は浅間神社の奥の院であるが、気のつく人はほとんどいないらしく、ちょこなんと淋しげである。僕はここへ来るとこの忘れられた祠に同情が湧き、そのトタンの屋根を二、三度撫でまわすことにしている。
 霧の晴れ間にマチガ沢を登ってくる岩登りのパーティーが、トマの耳直下の岩棚で休んでいるのが見える。一ノ倉の谷は霧がもうもうと立ち込めて何も見えない。晴れてさえいれば、万年雪が見えて喜ぶことができるんだがと思う。遠く湯桧曽川の瀬音が聞こえるのには驚いた。霧の中にじっと立ちつくしていると、何か現実とかけ離れた気持ちになる。このおそろしく不透明な精神状態を静かに揺り動かして、数人の男声合唱が鼓膜をふるわせる。岩登りの途中らしい。歌声は高く低く断続して、峰々に響き合う。周囲の山々のたたずまいが立体的な美であるとすれば、この歌声は第四次元的な美といえる。僕は歌声がいつまでも絶えないようにと願っていたが、期待は五分と続かなかった。
 トマの耳に帰り、スケッチブック二枚のデッサンを描きなぐる。生来、絵は下手である。だが絵を描くのではなく形を描くのだと思えばべつに腹も立たないし、またこうやってスケッチブックを開いているだけでなかなかいい気持ちである。
 正面に見える爼嵒(まないたぐら)の岩壁は、凄惨なまでに切り立っている。湯桧曽川を隔て、蹲(うずくま)るのは武尊(ほたか)である。こちらよりは標高が高いのに低く見えるその後ろに、褐色の岩肌を見せているのは至仏である。あの向こうに尾瀬の夢のような湿原が横たわっていると思えば、このまままっすぐ飛んでいきたい思いである。至仏の東麓、絵葉書で見るチロルの山小屋風景そっくりな山の鼻小屋の印象は、今もまざまざと飛びゆきたい感情を刺激してやまない。
 午後一時、やっと重い腰を持ち上げて帰途につく。薬師平で記念撮影をしているうちに、岩登りのパーティーに追い越される。これでどうやら僕らが谷川の頂上を去る今日最後の組らしい。一人大声で歌いながら、天神様の長い尾根を下る。右手の爼嵒(まないたぐら)が午後の陽に照りかえるのを眺めつつ、透明な空気の中をひた下りつつ振り返れば、薬師岳はそれにしたがってぐいぐいと天空に盛り上がってゆく。薬師平の側面が西黒沢に向かい急激に落下するところ、ホーンフィルスの黒ぐろとした鉄盤にきわだって白く一条の滝を垂下させている。このあたりから天神峠にかけては最もその雄偉な姿を見る人の目にやきつけさせる。田尻沢からの新道に出合えば、天神峠は目と鼻の間である。峠でイヌに会った。このポインター種の牝犬は、キャラメルを紙ぐるみ食ってすましている変わりものである。
 これから谷川までの憂鬱な急降路を考えると、ここへ一晩泊まりたくなる。小憩の後、すでに頭を雲に隠した耳二つに別れのウィンクを送って、犬を先導に下る。Iさんは下りならば自信ありげである。Tさんは膝が笑ってしょうがないと、おかしな形容詞を用いる。僕は登りは好きだが、下りは大嫌いである。膝の奴は笑うどころではなく、くしゃみをしている。それでもフニクリフニクラを歌いながらよちよちと下る。ここに最もくやしきはかのワン公である。いとむくつけき腰をふりふり急速に駆け下り、僕らの追いつくのを途中で待っている。彼女の眼色はまさしく人間様を愚弄(ぐろう)している。待っては下り待っては下り、とうとう彼女は待ちくたびれたとみえ途中からもう待ってくれなくなった。
 このいやな下りもかすかな沢水の音が聞こえはじめるともう先も短い。沢辺で草鞋を脱ぎ足を洗って靴に履きかえ、同時にエネルギーを補給する。先ほどまで花崗斑岩であった岩質は、ここから第三紀層の凝灰岩、頁岩(けつがん)に変わる。すっかり腰を落ちつけたIさんを時間がなくなるとおどかして出発する。事実、時間はあまりなかった。しばらくケルンに導かれて道のない沢下りをすれば、いつの間にか良い道となり歩行も快適にはかどる。山間はすでに暮色を漂わせ、水楢、栂、檜の緑の影も濃い。木の間に夕映えの空を見つつ、女郎花、吾亦紅(われもこう)、あきからまつ草の咲く小道を下る気分は、一日の山旅のエピローグにふさわしい。
 谷川のスキー場を過ぎれば周囲は里の匂いが濃く、午後六時の黄昏の中に谷川の湯宿を左手に見送り、水上への蜿々(えんえん)たるドライブウェーに出る。山峡の落日は早い。振り返る国境山脈の山頂がわずかに薄桃色に映えたと思う間に、あたりは青磁色の世界に沈潜する。見よ、行く手に高く星光の二つ三つ。
 こころよく疲れたワンダラーは、黙々と駅への道を急ぐ。
  

Posted by 松田まゆみ at 13:48Comments(0)谷川岳に登る

2009年03月04日

金無垢の月


昔 いつか来たような
語る言葉も同じような
丘に残る 萩の花かげを
自らの懊悩(おうのう)に耐え得で
自らを責め
自らを滅するに似て 心なお
何を憧る 何に憧る
灰色にてはあれど 古き信念に
生きてあれば悲し
風に揺れよ 吾亦紅(われもこう)
吾も亦 黄昏に滲む紅
幸の意義を得知らず
求むるも亦 あて知らず
唯 心のみ楽しければ
歩みては憩う
立石山
遥か君の肩低く
眉よりも細い
金無垢の月 金無垢の月

(1946年、立石山にて)
  

Posted by 松田まゆみ at 14:17Comments(0)

2009年03月05日

夜道


歌は星に流れて
路を照らした
「今夜は暖かいね」
「八月だものね」
「森が茂って 怖いんだろう」
「手をお貸し」
「何て冷たい手だ」
「お馬鹿さん」
「それは 月見草だ」
「さあ 肩を組もう」
「月(ディアーナ)?」
「月(ディアーナ)なんか出やしないさ」
「でも……そうね」

(1946年8月21日)
  

Posted by 松田まゆみ at 12:30Comments(0)

2009年03月06日

友情

  ―松虫草と吾亦紅に寄す―

強く 美しく 清き友情は
高原の花と花とに結ばれ
ある夜 月の光に
いたいたしく濡れた
二つの花の憧憬(しょうけい)は
山頂に絶えて 星となった
その遥けくも 清き光
友情よ
かくて永遠に澄みてあれ
二つの花 萎ゆるも

(1946年9月10日、霧ヶ峰にて)
  

Posted by 松田まゆみ at 12:42Comments(0)

2009年03月07日


霧が流れる
何か ぶつくさつぶやきながら
からまつの間を飛び去る
霧は谷から生まれた
ニッコウキスゲは星だったが
今は光り薄れ
 松虫草 松虫草
その 藤色の漂いに
「何を考える私達」

霧が流れる とめどなく
霧が流れる 草の実に
草の実こぼれて白き
君が手に
この原に 草の実の
強さ 醜さ
 松虫草 松虫草
かくも 青ざめて 冷たく
「何を考える私達」

(1946年秋)
  

Posted by 松田まゆみ at 13:04Comments(0)

2009年03月08日

月の高原にて


月に濡れた女性(ひと)は
花を摘み
  花に埋もれ
高原の夜を歩む
夢ほのぼのと
何時しか君は「花の精」

白き手に
青ざめし藤色の
花のかぎろい
君が頬の 清き微笑み
月影のこぼれて散りて

花ならば君 静かに居ませ
人なれば君 我と語らん
アルテーミス
汝は冷たき純潔の光
汝は愛だに知らぬ女神
この原に在るは二人
この宵に 夢ほのぼのと
花に埋もれ 花よりも清く

(1946年秋、霧ヶ峰にて)
  

Posted by 松田まゆみ at 12:48Comments(0)

2009年03月09日

のぢぎく


「今年の秋も行ってしまう」
「今年の秋も行ってしまう」と
私の肩に落葉が散る
ここに かしこに
のぢぎくの群れ咲いて
たそがれは尾根を浸す
尾根はたそがれに浸る
昔 時が私をおき去った
夢の中に
このような花が咲いていた
うつつに手を触れれば
澄み切る冷たさ
やがて散る
 やがて散る
その耐えがたい白さに
顔をうずめて
去りゆくものを慟哭(どうこく)する
「今年の秋も去ってしまう」
「今年の秋も去ってしまう」と
私の胸に落葉が散る
尾根にはもはや
誰もいぬ

(1946年秋)
  

Posted by 松田まゆみ at 16:17Comments(0)

2009年03月10日

ヨブの柩


真実を言えぬ男
空を見る
ヨブの柩 秋の空
真心を 虚偽と
置換した男
空を見る
ヨブの柩 淡き菱形
 言ってはならぬ
   言ってはならぬ
汚れた男は 汚れた自己を
ヨブの柩に放り込め
あの美しい 星の柩に
幾億年も消えぬ柩へ

(1946年10月18日、霧ヶ峰にて)

  

Posted by 松田まゆみ at 13:33Comments(0)

2009年03月11日


高原は べた一面の
紅葉が昇華し
梢に
ソバカスだらけの
少女達が はしゃぐ
牛は空しく 春を啼き
私は 二本の指で
墓を掘る
昨日死んだ
  こおろぎの墓

(1946年10月26日、美ヶ原にて)
  

Posted by 松田まゆみ at 17:08Comments(0)

2009年03月12日

浅き湖(うみ)


浅き湖(うみ)は笑みをたたえ
午後の陽に光り輝く
黄ばみたる梢そよぎて
重なりて二つの葉落つ
浅き湖は笑みをたたえ
水底はみどりに透き
胸拡げ白き腕のべ
青き眉ひそむ
汝の心我を招き
我が心汝に憩う
そも汝は何を愁い
そも汝は何に憧る
我汝を愛さんと欲し
いと深き絶望の淵に沈む
ああ深淵ぞ我が愛の住家
浅き湖は笑みをたたえ
我が心知らず
我低回の岸辺にありて
去りもあえず
我が命ただひたすらに
秋の日に病葉と散る

(1946年10月26日、蓼の海(たてのうみ)にて)
  

Posted by 松田まゆみ at 13:42Comments(0)

2009年03月13日


何時の日が知らないうちに
心の奥の奥底から
ほんの少しずつ絶間なく
湧き出した泉です
冬は温かく夏は冷たいその水は
止めることとてできません
やがて心は透明な
泉の水で満たされます
心が苦しくなった時
それは夕日の湖に
そっと流してしまうのです
求めてはいけません
与えることもいけないのです
何故だか私は知りません
何故だか考えることでさえ
許されないと思うのです
楽しみもなく悲しまず
苦しみもなく喜ばず
心の奥の奥深く
愛していたいと思うのです

(1946年11月11日)
  

Posted by 松田まゆみ at 08:17Comments(0)

2009年03月19日

造花


冬の陽が
白いヴェールを投げかけ 投げかけ
到達した室の隅
花々は震えていた
空を映さぬ葩(はなびら)よ
死の断片に綴られ
夢を包まず
やがて鮮明にこぼれ行く
そこに塩素の臭いが流れ
花々の確かな共鳴が流れ
一人うつ然とノートする我
与えられた形体の真紅に
全てを忘却するもの
作られしを恨み
憔悴(しょうすい)を知らぬもの
唯々「愛せよ」と 造花

(1946年12月5日)
  

Posted by 松田まゆみ at 10:50Comments(0)

2009年03月26日

ブローチ

   ―友のブローチに寄す―

失われた私のブローチ
今日もこの秋雨に冷たく濡れていることだろう
からまつの落葉に交じって
悲しく湿っているに違いない
艶やかに 淡く白んで
例えば牛乳に卵黄を溶いたように
冷たい石だったが
とうとう 私の胸を離れて
お前は山に帰ってしまった
銀色の金具はもう錆びてしまったろう
去りし日に
お前の冷たさを感じ
私の温もりを与えた
それは今も私の指先に
懐かしく残っている
「哀惜(あいせき)」
青い空と黄金色の日光が
ピチピチはねていた日曜の午後
私のはずんだ心が つい見失ってしまったお前
都大路のショーウィンドから
何気なく私の胸に移されたお前だった
ブローチ
お前はよく私と一緒だった
公園の木の間もる月影を宿した宵
コンサートのハープにふるえていたお前
華やかな語らいの夕にも
お前は異教徒のように 私の胸に一人ぼっちだった
私の心よ
憂愁を湖に投げかけたある日
お前も夕映えの漣(さざなみ)に泣き崩れていた
私の友よ
ああ 永訣の夕
私の最愛の魂の天に召された夕
涙に曇った私の鏡にお前も共に潤んでいたね
山に秋草が枯れ 私の胸元に残った淋しさ
今こそ 私は愛することを知った
私は淋しさを喜びとすることを知ろう
  

Posted by 松田まゆみ at 16:02Comments(0)

2009年03月29日

こぶし


谷奥の流れの岸
真白なこぶしの花の下で
私は駒鳥の声を聞いた
香りに咽(む)せて
人を思った
「あの日……」

十日程して
花は散った
ちょっぴりのぞいた青空に
その日も雲が流れている

「やはり負けた」と思う
「やはり負けぬぞ」と思う
そんな心で生きているのは
辛い

お母さん
北の山の沢辺に
今年も純白なこぶしが咲きます
その根元を水が流れて行きます

そこが
僕の墓場になるでしょう

考えるということは
いけないことでしょうか……
安易に突破できないものが……

お母さん
愛するということは
真実困難なことですね

必死になってみましたが
全ては愛しきれません

たった一つの心を知り
たった一つの愛を知ったものは
何も知ることができません

行かねばならぬ唯一の
永遠の方向を除いては……

北の山の沢辺に
私はこぶしの散る音を聞いた
私の白骨の鳴る音を聞いた

ちょっぴりのぞいた青空に
たしかに雲が流れている
  

Posted by 松田まゆみ at 12:54Comments(0)