さぽろぐ

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2009年01月17日

火口原

 荒涼とした火山礫の原が、段丘状に次第に高度を下げてゆく。原の末端は、空に続く青よりさらに濃い海の青である。それは異様な高まりを見せて、この島を溺れさせようとするかのように島を取り囲んでいた。ひと筋の道がその青に、忽然と消えている。火山灰に半ば埋もれて、ひねこびたイタドリがところどころ地に張り付いている。緑はそこにしかなかった。
 振り返る山頂は、もう遠い。真黒く焼けただれた火口壁の先鋒が青空に突き刺さり、それは私に幼い日の物語に想像した鬼ヶ島を思い出させた。活火山は薄い煙を棚引かせ、あたりに人の姿は見えなかった。たった一人になれたかと思うと、何やらほっとして、私は歩度をゆるめた。急ぐことはないのである。今夜の宿に決めているK小屋には、午前(ひるまえ)に着いてしまうだろう。私が期待し、望んでいた旅のプロローグは、すでにそこに展開されていたのである。
 そこら一面、五月の太陽がぴちぴちと跳ね回り、私の若い肉体は、その光量子の散乱の中に大きく息づいていた。しかしどうしたことか、その時私の網膜には母の映像が浮かんだのである。今頃、薄暗い台所で朝食の仕度をしているであろう母の姿である。老舗の家付娘として、生活の不安を知らず育ってきた母だったが、父の破産とそれに続く家出から、想像もしなかった借家住まいに追い込まれて、ただおろおろするだけの母だった。そんな母と幼い弟達の生活は、当然学校を卒業したばかりの私と妹の肩にかかってきた。私が就職を前にして数日の旅をもくろんだのも、前途に希望を抱いた人生の門出への記念というより、「俺の青春は、家族を養うだけの労働の中にたぶん終わってしまうのだろう」という不安と失望を、せめてこの旅の間だけでも忘れてしまおうと思ったからだった。
 昨夜の海は荒れていた。季節はずれの台風の余波だという大きなうねりが、船の舳(へさき)に砕けて甲板を荒い、食堂で夕食を摂った船客は、私を含めて三、四人しかいなかった。真夜中に到着予定のM港には艀(はしけ)が危険なために上陸できず、波止場のあるO港に着岸して、突堤を洗う大波の中をロープを頼りに上陸したのは午前三時頃だったろうか。それから懐中電灯を手に、M山に登ったのである。
 高度が下がるにつれイタドリは地を覆い、芒(すすき)の群落も見えはじめた。幾本かの木々も若い緑を広げているようだったが、何の木だったのか? 私には覚えがない。私は、すべてを忘れようと努めていた。東京へ帰れば、ただ働くだけの生活が始まる。私には、自分の将来が灰色に閉ざされているとしか思えなかったのである。
 海からの風が強かった。どこにあったのか、老人のように腰の曲がった去年の枯葉が一枚、私の足元をカラカラと音をたてて飛び去った。いつか、私はミニヨンの「放浪人(さすらいびと)の歌」を口ずさみながら、遥かの海に向かって歩み続けていった。

  我 山より来ぬ 谷は遥かに
  海は鳴る 海は鳴る
  うらぶれて 放浪て
  我 吐息す 「何処ぞ」と……

 この歌が、特に好きだったわけではなかった。青空は限りなく淋しかったが、また限りなく明るくもあった。


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Posted by 松田まゆみ at 09:46│Comments(0)トベラの島
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