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2009年01月11日

第五日

 朝から小雪が降っていた。
 ヨーシの先生は、ゲレンデのてっぺんで待ちかまえていた。朝っぱらから張り切っているらしい。今日はどうしても全制動回転を覚え込ませるつもりのようだ。私達の姿を見ると、「おーい遅いぞ、早く来い」と怒鳴った。やれやれだ。あの調子では、また今日も一日中猿回しの猿ということになる。
 まず初っぱなから講義が始まった。要旨はこうである。
 山スキーでは絶対に転んではならない。安全確実な回転法で回ること。スピードを出してはいけない。スピードを出さないためには制動をかけてはならない。斜滑降の角度を水平に近くとればいい。重い荷物を背負って制動滑降などしたらすぐ疲れてしまうし、加速度がつくから制動し切れるものではない(これは現在のようなエッジがついていないスキーの場合の話しである。現在とはスキー、用具ともに大きな差異があった)。狭い急な道で斜滑降ができない場合、やむを得なければ股制動をする。そのためには長い太い杖を使う。ざっとこんなものだった。
「今日は全制動回転、半制動回転と股制動を教える。最後に急停止のためのクリスチャニアもちょっと練習する」とご託宣が終わると、ハードトレーニングが始まった。先生の口の悪さは地金を現わしはじめた。たとえばこんなものである。
「おい、もっと膝を内側にして。まだまだ、おい、斬られ与三っ、おまえのつま先は内側に向けられないのかっ」
 もちろん斬られ与三郎はSのことである。
「おまえの膝はよく内側に曲がるな、いつも内股に歩きつけているのだろう。女形(おやま)みたいにな。おい女形っ、おまえが転ぶのは腰が後ろに引けるからだ。そこで体重を全部外足スキーに移すんだ。駄目だ、駄目だ。スキーの先端内側にもっと体重をかけなければ駄目だっ」
 といった調子で、Sと私は斬られ与三郎と女形というありがたくない仇名(あだな)を頂戴した。
 確かに効果はあった。昨日までほとんど回転ができなかった私達が、昨日の基礎訓練の下地がものをいったのかもしれないが、ゲレンデでは割にスムーズに回れるようになったから不思議である。
 その後、私は何回かスキーの先生といわれる人にスキーを教えてもらったが、この時のように、まるで魔法にかけられたように回転を覚え込まされたことはない。
 そして戦後近代スキーに移る前後までの期間、私の山スキーに対する根本理念は、この先生の主張で貫かれた。こと、ボーゲンに関する限りは現在でもちっとも変わらないし、自信も持っている。ついでだが、志賀のジャイアンツのような大きなこぶなら、ボーゲンOKである。
 午後は急斜面での回転の練習だった。ゲレンデが外山に接するあたりに、三十度以上の急斜面があった。誰も滑っていないそこを踏みならしての練習だったが、私達には目の回るようなその斜面を、曲がりなりにも曲がって降りられるようになったのは不思議中の不思議である。現にその後、ずいぶん長い間、三十五度の斜面をボーゲンで確実に降りることができなかったのだが、その時は回って降りることができたのである。もっともスキーが最大傾斜線に向いた時は、まるで急降下爆弾の飛行機に乗っているような気持ちで、先生に怒鳴られなければ到底やってみる気がしなかったはずである。催眠術の催眠状態にあったのかもしれない。
 クリスチャニアを教わる時間はほとんどなかったが、先生は明日のツアーのことが気にかかったのだろう。スピードが出すぎて困った場合、クリスチャニアでストップする要領をこんな表現で教えてくれた。もちろんこれは正しいクリスチャニアの方法ではなく、緊急の場合のストップ法としてである。
「とにかくスキーを二本揃えたまま谷底に向かって伸び上がり、次に沈み込むと同時に右でも左でもいい、足を揃えたままスキーを振り回して、斜面に直角にしてエッジを立て、山側に体を倒すのだ。たとえ転んでも起き上がりやすい格好で転ぶから安全だ」と言うのだ。
 ただし、先生はその練習はさせてくれなかった。あくまで緊急用で、とっさの場合その要領でやってみろということだった。
「明日は良い天気になるだろう。まあ、この調子なら二人だけで山王回りをやっても大丈夫、気をつけて行ってきな。あさってまたゲレンデで会おう」
 お許しが出たのである。私達はほんとうに心をこめて最敬礼をした。
「ありがとうございました」
 厳しかったが、その時になってしみじみ良い人だなあと思った。
 宿に帰ってオヤジさんに、「明日は山王回りのスキーツアーに行くから、弁当を頼みます」と言ったら、オヤジはびっくりした顔をした。
「大丈夫かね、その顔で」とSの顔を見た。
「実はゲレンデでスキーの名人に、昨日と今日スキーを教わり、山王回りのお許しが出たのだ」と、ヨーシの先生のことを話した。
「ほほう、あの名人に教わったのかね。そりゃあよかった。あの人は妙高の方の人で名人だよ」
 どうやらヨーシの先生は、湯元でも評判の人らしかった。
「では明日は弁当を作ってやろう。そうそう、今夜はちょうど栄養満点のおかずだよ」と言った。
 私はSとチラと顔を見合わせた。ピーンときたのである。「たぶんアレだ」私達の目はうなずき合った。予想通り夕食のおかずは例の豚汁だった。私達はまた爪の先で一本一本引き抜いた毛を、皿の縁に並べなければならなかった。


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Posted by 松田まゆみ at 10:19│Comments(0)ボン・スキー
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