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山の挽歌-松田白作品集- › ボン・スキー › 第六日、初めてのスキーツアー(2)

2009年01月13日

第六日、初めてのスキーツアー(2)

 びっくりした。ぶつかっては大変と思った瞬間、私は無意識に縦のスキーを横に振り回していた。エッジを立てた、というより自然にエッジが立って、私は山側に体を倒していた。スキーはその人の直前で止まり、私は不思議にもスキーの上にちゃんと立っていた。アッと思った瞬間にクリスチャニアができたのである。もっとも、これが偶然にできたのだという証拠には、このシーズン中にはクリスチャニアのクの字もできなかったことでわかる。
 Sがすぐ後から来る。「これはいかん」と振り返った私の目に、カーブに差しかかろうとするSの姿が映った。私は大声をあげて叫んだ。
「止まれっ止まれっ!」
 しゃがんでいる人と私が道を塞いでいるのである。避けようとしたSは道の谷川の縁の方に寄ってうまくすり抜けたかと思ったが、次の瞬間には大声を残して横倒しに谷川の雪の中へ飛び込んでいた。
「大丈夫かあ」と怒鳴ったら、「大丈夫だあ」という声が雪の中から返ってきた。
 しゃがみ込んでいた人は若い男のスキーヤーだったが、捻挫して動けないでいたのだという。光徳沼に泊まっていてここへ一人でスキーに来たのだが、もうスキーヤーも来ないようだし、このままでは凍死してしまうし、這ってでも帰ろうと思っていたところだと言う。「わが人生も一巻の終わりか」と思っていたと言われては、もちろん放っておくわけにはいかなかった。
 相談の結果、私より体格のいいSが彼を背負って、降りられる所まで降りる。その間に私は光徳沼に急行して、人手を借りてくるということになった。私がこけつ、まろびつ光徳沼まで行き、人手を借りて彼らの所へ戻った時には、短い冬の陽はもう外輪山の辺縁に近づいていたが、テントの布地に乗せた彼を引きずって光徳沼に着いたときは、西空に残光を残すのみになっていた。
 すぐ帰ろうとする私達は、当然のことのように引き留められた。牛乳やら、あべ川やら出されてみると、ただでさえ腹の虫がグウグウいっている私達だ。たちまち牛乳二合とあべ川五枚を平らげた。その旨かったこと・・・・・・。がんがん燃えているストーブを囲んで、もうここからは真暗になったって迷うことはないから等と言われてみると、なかなか腰が上がらなくなった。中村屋のかりんとうを一袋もらって、ようやく牧場を出た時はすでに五時をまわっていた。
 月が出ていた。青白い月だった。星もちらちら輝き出していた。ところどころに林を点綴(てんてい)し、ほとんど平らのように思えるこの逆川沿いの道は、青白く輝く雪を置いて静まりかえっていた。身体も暖まり、満腹の私達はご機嫌この上もなかった。左手に広大な戦場ヶ原が広がり、右手は三ッ岳の斜面で、この方は暗く沈んでいる。こんな時、人間は自然に歌が出るものらしい。その頃流行していた古賀政男作曲の歌である。

  月影白き波の上
  ただ一人きく調べ告げよ千鳥
  姿いづこ彼の人・・・・・・

 誰もいないと気が楽だ。原いっぱいに響けとばかり大声で合唱した。歌がひとつすむとかりんとうをボリボリかじった。歌ってはかじり、かじっては歌った。浜辺の歌、シューベルトの「海辺にて」等、どういうものか海の歌が多かった。夜の雪原と海、それは単に形が似ているためばかりではないらしい。感情的にも反芻(はんすう)し合えるものだということを、私はその後幾回も経験した。そんな時、私は雑誌でみたことのある詩の一説を思い浮かべるのだ。

  海は一枚のハンカチーフで
  汽船は インクのしみだった

 この詩の海が雪の原で、汽船が山小屋だったとしても、ちっともおかしくはないのだ。まして雪原をとりまく外輪山や、中に浮かぶ内輪山は島影そのものなのだから・・・・・・。私は、山はもちろん海も好きだった。
 道が湯元へ向かうバス道に出会う頃、少々声が嗄(か)れ喉が痛くなってきた。考えてみれば当たり前だ。零下十五度の夜風に吹かれてかりんとうを食べながら大声で歌いつづけたのだから、丈夫な咽喉粘膜だって酷使に耐えかねるだろう。おかげで翌日丸一日は二人とも烏(からす)のような声しか出なかった。
 もう湯元までは一時間みれば十分だろう。
「夜道に日暮れはねえや」
「ゆっくり行こうや」
 私達は性懲りもなくまた歌を歌いながら、ゆっくり湯ノ湖沿いのバス道を歩いた。
 白銀の月と満天の星である。オリオン、カシオペア、ペガサス、アンドロメダの星雲も見えそうだ。都会の空でも簡単に見つけられるスバルなど、あまりに多い星の数の中に埋まってしまって、それと指摘し難いくらいだった。
 その時である。提灯の灯らしい五つ六つの明かりが、こちらに動いてくるのが見えた。一列に並んで三ッ岳の黒い森をバックに灯影を湖面に落として、それは確かにこちらに向かって歩いてくるようだ。
「何だ、あれは? 狐の嫁入りかな」
「狸の嫁入りだろう。今頃なんだってこんな所を歩いてくるのかなあ」
 のんきな私達は、これが私達の帰りの遅いのを心配して旅館から派遣された救助隊の人々だとは露思わなかった。次第に近づいて、私達の姿を認めたらしい人は足を止めた。まっさきに大きな声で怒鳴った人がいた」
「そこへ来るのは、与三と女形かあ」
「いけねえ、ヨーシの先生だっ」
 私達は愕然として悟った。次に稲妻となってきらめいたのは、頭からどやしつけられるだろうことだった。提灯が駆け寄ってくる。いけねえ、謝るに限ると思った途端、ヨーシの先生の声が爆発した。
「皆が心配しているというのに何だ、のんきに歌など歌ってやがって! まあよかった、よかった」
 私達は平身低頭謝った。旅館のオヤジの顔が見えた。顔見知りの運ちゃんも、宿の女中さんの顔まで見えた。
「申し訳ない」
 胸がジーンとなるほど、皆の気持ちが身にしみたのは、「それでも無事でよかったね」と皆に言われてからだった。
 実は捻挫した人を光徳沼まで連れていったりして遅くなったのだということを話したら、ヨーシの先生は、「光徳の奴ら、電話ででも知らせてくれればいいのに、気がきかねえ奴らだ」と、今度は牧場の連中に八つ当たりした。そして続けて、「後でうんととっちめてやろうと思っていたんだが、人助けをしたというなら話しは別だ。ああよかった。俺は心配したぜ。うん、弟子にはできすぎたお手柄だ。うん、そうでなきゃならねえ」


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Posted by 松田まゆみ at 15:23│Comments(0)ボン・スキー
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